★面倒だから倭コロどもに纏めて返す続き1
投稿者: wakorokiraisine 投稿日時: 2006/07/06 17:25 投稿番号: [119511 / 196466]
「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」
というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。
だが、ある村ではレイプされたという女性が証言する段階になって、「村人に囲まれては話せない」と証言を辞退する場面もあった。
訪ねた村の中には親日的な村もあった。日本軍の表彰状や腕章を見せ、思い出をうれしそうに語る人たちもいた。短期間だが村で簡単な学校を開き、文字や農漁業技術などを教えた日本兵もいたという。このギャップには信じられないものがある。
つい最近まで、パプアニューギニア人が、日本兵による人肉食の被害について公に語る機会はなかったと言っていい。悲惨な体験が語られるようになったのは、ラク氏らが94年、「日本軍による戦争被害に補償を求める会」を結成してからだ。
ラク氏は94年、日本のボランティア団体や研究者、弁護士らによって開催された「戦後補償国際フォーラム」に参加するため来日。日本軍の命令でパプア人約100人が虐殺されたティンブンケ事件(45年5月ごろ)を証言した。ラク氏の母親が事件に関連したレイプの被害者だった。
「この時、アジア各地の犠牲者のグループと交流し、いろいろと学びました。自分だけでなく、たくさんの被害者がいる東部パプアニューギニア全体の被害を調査してみようと思ったんです。勧告の元従軍慰安婦の人たちの存在に勇気づけられた」(ラク氏)
ラク氏はパプア第二の町レイ在住の地元有力者。日本から帰国すると、さっそく運動を開始した。昨年、地元のラジオと新聞で、日本に補償を要求するために、戦争被害を「補償を求める会」に登録するよう呼びかけたのをきっかけに、登録者が激増した。自宅を事務所にして約100人のボランティアを動員し、各地での聞き取り調査と被害登録を続けている。
これは メッセージ 119510 (wakorokiraisine さん)への返信です.
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