Re: 南京大虐殺は否定できないだろ。
投稿者: hamida0471 投稿日時: 2006/03/04 12:05 投稿番号: [109674 / 196466]
あんた南京行ったんなら、下関見に行ったでしょ、何時行ったんだか知らないけれど、夏ならすぐ下まで水が来ていたでしょ。冬に行ったんなら、水際まで50メートル以上はあったはずよ。砂漠じゃないんだから車が通れるなんて、現場をみればすぐ分かるじゃない。その上南京戦の年は、例年にも増して渇水なのよ、大河が冬に渇水するわけは、水源地に雪が降っているから水が減っちゃうのよ、南京が水不足って分けじゃないのよ。南京の12月は、雪も降るし雨も降っているのよ、ぬかるんでなかったなんて、どこ見ていってんのよ。
紅卍字会の埋葬記録だけど、当時、南京には上海攻略戦の国民党軍の15万人(畝本正巳氏は「証言による「南京戦史」)の傷病兵の後送基地になっていて、市内全ての病院を合計すれば、平均1日100名内外の死亡者を出していたのよ、南京攻防戦までの3ヶ月間で約9千人の国民党軍の兵士が南京で死んでんのよ。南京戦の国民党軍の戦死者の数をダーディン記者は3万3000と推測しているのも含めて、両方とも紅卍字会によって埋葬されたんだけど、この数全て日本軍の虐殺数として、中共は水増ししているのよ。そのうえ、埋葬ったって、軍でもない限り車両は無いのよ、とにかくその辺の近場に埋めるより仕方なかったのよ。
だいたい、紅卍字会の12月28日の6468体埋葬って疑問よね、当日は大雪よ、この大雪を越して、水葬したなんて、東京裁判資料でも白紙を張っているじゃない。
12月25日から12月27日正午頃まで、日本軍は、兵士10名と労働者40名を5隻の「ヤンマー」で、渇水で流れず岸辺に滞留している死体をひっかけて流す作業を行っているのよ。それでも、1500体ぐらいしかなかったのよ。
東京裁判って1946年から48年までやってたのよ、蒋介石と共産軍が南京戦をしたのが1949年、その時の民間人を巻き込んだ殺戮の人数を後で中共が南京の対日本戦の死亡者水増しに使ってるのよ。
傷病兵を放免するのは、日本軍に限ったことではないわ、ちょいと調べれば誰にでも分かるわよ。日本軍は、八路軍みたいに捕虜の右手の人差し指や足首を切り取って放置したみたいなことはやってないわよ。
だいたい、あんたが考えるみたいに武器が豊富じゃないのよ、武装解除してしまえば、ただの百姓なんよ。日本軍の三八式歩兵銃だって、ボルトアクションで反動が大きくてせいぜい人に当てるのは30メートルぐらいが限度なのよ。ばったばったと敵兵が倒れるのは映画の世界よ。
紅卍字会の埋葬記録だけど、当時、南京には上海攻略戦の国民党軍の15万人(畝本正巳氏は「証言による「南京戦史」)の傷病兵の後送基地になっていて、市内全ての病院を合計すれば、平均1日100名内外の死亡者を出していたのよ、南京攻防戦までの3ヶ月間で約9千人の国民党軍の兵士が南京で死んでんのよ。南京戦の国民党軍の戦死者の数をダーディン記者は3万3000と推測しているのも含めて、両方とも紅卍字会によって埋葬されたんだけど、この数全て日本軍の虐殺数として、中共は水増ししているのよ。そのうえ、埋葬ったって、軍でもない限り車両は無いのよ、とにかくその辺の近場に埋めるより仕方なかったのよ。
だいたい、紅卍字会の12月28日の6468体埋葬って疑問よね、当日は大雪よ、この大雪を越して、水葬したなんて、東京裁判資料でも白紙を張っているじゃない。
12月25日から12月27日正午頃まで、日本軍は、兵士10名と労働者40名を5隻の「ヤンマー」で、渇水で流れず岸辺に滞留している死体をひっかけて流す作業を行っているのよ。それでも、1500体ぐらいしかなかったのよ。
東京裁判って1946年から48年までやってたのよ、蒋介石と共産軍が南京戦をしたのが1949年、その時の民間人を巻き込んだ殺戮の人数を後で中共が南京の対日本戦の死亡者水増しに使ってるのよ。
傷病兵を放免するのは、日本軍に限ったことではないわ、ちょいと調べれば誰にでも分かるわよ。日本軍は、八路軍みたいに捕虜の右手の人差し指や足首を切り取って放置したみたいなことはやってないわよ。
だいたい、あんたが考えるみたいに武器が豊富じゃないのよ、武装解除してしまえば、ただの百姓なんよ。日本軍の三八式歩兵銃だって、ボルトアクションで反動が大きくてせいぜい人に当てるのは30メートルぐらいが限度なのよ。ばったばったと敵兵が倒れるのは映画の世界よ。
これは メッセージ 109448 (jptmd2004 さん)への返信です.
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