日中関係

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Re: 愚かなにjptmd2004さんに教えます。

投稿者: keijiban1234 投稿日時: 2006/03/02 21:15 投稿番号: [109591 / 196466]
  1.『南京事件』と『南京大虐殺』の違いを理解しましょう。
  2.『東京軍事裁判』と『南京軍事裁判』は違います。
  3.『東京軍事裁判』では南京大虐殺があったと判決していません。
   (この裁判は勝者が一方的論理に基づき、敗者を断罪した復讐の欲望を満たすための非合法裁判だったけどね。)
  4.『南京軍事裁判』では、『調査によれば虐殺が最もひどかった時期はこの二十六年十二月十二日から同月の二十一日までであり、それはまた谷壽夫部隊の南京駐留の期間内である。』となっていますが、実際は『六師団は南京陥落から三日後の十二月十六日には南京から揚子江上流の蕪湖に転戦しており、十日間も南京にとどまっていなかった。』のです。
  http://www6.plala.or.jp/carryback/page257.html
  つまり、南京軍事法廷に正当性はありません。勿論、被害者総数の30万人以上も捏造です。

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  下記は貴方が掲示したHPの中にあった当時の資料です。「事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に逃げ込んだ。」とありますね。

  『南京の人口』の中の『安全区委員資料』より。。
  外交資料(私的報告)
一九三八年一月一三日付
作成者 ---- クレーガー(南京)
文書番号なし
南京の運命の日々   一九三七年一二月一二日〜一九三八年一月一三日

日本軍は難民区を承認しなかったが、戦闘中にはこれを尊重したからだ。難民区に加えられた砲撃はごくわずかで、戦闘の犠牲者も非常に少なかった。事実、南京に残った全住民、つまり約二〇万から二五万の人々が難民区に逃げ込んだ。大きな難民収容所に人々を受け入れるための十分な準備がなされた。二か月分の米が運び込まれ、潤沢な資金も自由に使用できた。
『資料   ドイツ外交官の見た南京事件』   P52
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  また、南京での日本軍による中国人虐殺を外国報道陣で初めて伝えたニューヨークタイムズのティルマン・ダーデイン記者は全体の犠牲者数を2万とか3万と推測していた。南京在住の外国人代表のドイツ人、ラーベ氏は4万とか5万という人数を伝えていた。

  上記から30万人もの人が当時南京に住んでいなかった事や当時犠牲者と伝えられた人々が2万から5万だった事から30万人以上の犠牲者は捏造だと推測されます。当時は戦争中ですから戦闘で死んだゲリラや軍人も居た事も忘れずに。

  【参考までに】
  yahoo!検索で『笠原十九司『南京事件』』を検索したら、下記のHPがあります。
  参考にしてください。
  笠原十九司『南京事件』『笠原十九司「南京事件」の偽造写真』
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/4648.html
  『「南京事件」笠原 十九司   岩波新書』
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/1nankin-k.htm

  貴方の掲示したHPを参考に反論しているんだから、しっかり勉強しなさい。
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