統治前・後
投稿者: dctakumin 投稿日時: 2005/11/24 14:58 投稿番号: [43 / 503]
>そもそも当時の国際社会では、国際法は文明国相互の間にのみ適用される。
>「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点から
その国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は
国際法上は不法なものではなかった」と述べた。
国際学術会議上には、「非文明国」「自分で生きていけない国」という暗黙の前提があるようだ。
ワロタ
何も非合法を主張したいがために、そこまで恥を晒すこともなかろうに・・・
統治前
http://www1.harenet.ne.jp/~dandy/img-box/img20030104233924.jpg
統治前後比較
http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/27/01/13702701/50.jpg
■統治前
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「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫)
首都の第一印象(李氏朝鮮時代)
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。悪臭紛々のその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁ぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙を張った小さな窓があって人間の住まいだと分かる… かわら屋根の反り返った上流階級の家庭でも、通りから見た体裁の悪さという点では何ら変わりがない。
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■日本統治時代
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「京城ローカル・春の巻」 1938年 京城ローカル社 (「ソウル都市物語」 川村湊 2000年 平凡社新書より)
街の表情(京城)三越前から
カールもあざやかなモガ(モダンガール)が足をのばしてぺーブメントを踏む、水々しい高島田を真白い顔に乗せてゲイシャガールが人力車に乗つて悠々と行く、チマをスカート風にきりつとさせて、ハイヒールの朝鮮の娘さんが颯爽と行く、白いツルマキを着込んだオモニーがゐる支那人がゐる、アメリカ人がゆくそしてまた、彼氏彼女がゐる。まこと本町は流れる人の波に明けて暮れる。あの狭い、ウナギの寝床みたいな街といふなかれ、大阪なら心斎橋通りといつた感じではないか。先づ本町をブラブラしやうといふ者は、定石に従へば電車も自動車も鮮銀と三越と郵便局とに囲まれた広場に降りる、この辺りは京城のセンターである。ビルディングがずらりと南大門通りの街をつくつて、近代的文化都市らしい香ひを発散、南大門方面から来た電車は、黄金町から東大門行と鍾路から東大門行とがチャンポンにチンチンいはせる、北へは長谷川町が大平通りに抜ける。
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これを見ているだけでも西欧の植民地支配とは雲泥以上の差があり、
併合というきちんとした手続きを経て行われた事自体当時としては、
極めて正当だったとしか評価できないと思える。
歴史捏造歪曲という人類の罪をまだ重ねるつもりか。
>「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点から
その国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は
国際法上は不法なものではなかった」と述べた。
国際学術会議上には、「非文明国」「自分で生きていけない国」という暗黙の前提があるようだ。
ワロタ
何も非合法を主張したいがために、そこまで恥を晒すこともなかろうに・・・
統治前
http://www1.harenet.ne.jp/~dandy/img-box/img20030104233924.jpg
統治前後比較
http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/27/01/13702701/50.jpg
■統治前
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「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫)
首都の第一印象(李氏朝鮮時代)
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体および液体の汚物を受ける穴か溝で狭められられている。悪臭紛々のその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。路地にはまた「小間物」とアニリン染料で染めたけばけばしい色の飴を売る行商人もいて、溝の上に板をさし渡し、おそらく1ドル程度の品物を並べている。こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁ぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙を張った小さな窓があって人間の住まいだと分かる… かわら屋根の反り返った上流階級の家庭でも、通りから見た体裁の悪さという点では何ら変わりがない。
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■日本統治時代
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「京城ローカル・春の巻」 1938年 京城ローカル社 (「ソウル都市物語」 川村湊 2000年 平凡社新書より)
街の表情(京城)三越前から
カールもあざやかなモガ(モダンガール)が足をのばしてぺーブメントを踏む、水々しい高島田を真白い顔に乗せてゲイシャガールが人力車に乗つて悠々と行く、チマをスカート風にきりつとさせて、ハイヒールの朝鮮の娘さんが颯爽と行く、白いツルマキを着込んだオモニーがゐる支那人がゐる、アメリカ人がゆくそしてまた、彼氏彼女がゐる。まこと本町は流れる人の波に明けて暮れる。あの狭い、ウナギの寝床みたいな街といふなかれ、大阪なら心斎橋通りといつた感じではないか。先づ本町をブラブラしやうといふ者は、定石に従へば電車も自動車も鮮銀と三越と郵便局とに囲まれた広場に降りる、この辺りは京城のセンターである。ビルディングがずらりと南大門通りの街をつくつて、近代的文化都市らしい香ひを発散、南大門方面から来た電車は、黄金町から東大門行と鍾路から東大門行とがチャンポンにチンチンいはせる、北へは長谷川町が大平通りに抜ける。
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これを見ているだけでも西欧の植民地支配とは雲泥以上の差があり、
併合というきちんとした手続きを経て行われた事自体当時としては、
極めて正当だったとしか評価できないと思える。
歴史捏造歪曲という人類の罪をまだ重ねるつもりか。
これは メッセージ 1 (akanbei_21c さん)への返信です.
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