日韓併合は合法だった

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馬鹿にされるために存在する国、朝鮮

投稿者: war_peninsula 投稿日時: 2007/06/09 06:08 投稿番号: [363 / 503]
コラム】100年前の6月(上)


  今年は「ハーグ密使事件」が起きてからちょうど100年になる。


  これを受け、日本の外務省が発行する外交専門誌『外交フォーラム』は、6月号と7月号にハーグ密使事件100周年特集論文を掲載した。当時の外務省の電文など、新たに発掘した未公開資料を基に上智大の村瀬信也教授が執筆したこの論文では、第2次日韓協約の締結により孤立無援の立場に置かれていた大韓帝国最後の外交努力を新たな角度から追跡、再検討している。


  ハーグで第2回万国平和会議が開かれたのは、1907年6月15日のこと。それから10日後の6月25日に高宗(コジョン)皇帝の密命を受けた3人の使節がハーグに姿を現した。この3人とは、前議政府参賛のイ・サンソル、前平理院(最高裁)予審判事のイ・ジュン、前駐ロシア公使館書記官のイ・ウィジョン。彼らは皇帝の玉璽(ぎょくじ)が押された全権委任状を示し、会議への参加を要求した。しかし、その試みは最初から成功する見通しのないものだった。


  米国は日露戦争で日本の勝利が決定すると、直ちに桂・タフト協定(1905年7月29日)を結び日本の韓国支配を承認し、英国(05年8月12日)、フランス(07年6月10日)が後に続いた。時はまさに帝国主義の時代だった。


  そのため、使節らはロシアに最後の期待をかけた。ハーグに行く途中、ロシア皇帝ニコライ2世に高宗の親書を伝達し、支援を要請した。しかし、既に日本との協商方針を打ち出していたロシア外相は、むしろ「韓国の非常識を叱咤(しった)した」という。


東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員
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