崔夢龍って檀君神話で失笑買った人
投稿者: cxb2c 投稿日時: 2007/09/15 12:00 投稿番号: [62 / 5893]
崔夢龍とて、北朝鮮の檀君関連捏造には抗議するが、檀君神話そのものには、何の疑問も許さない立場で、日本側では評判悪いですよ。
北朝鮮の檀君捏造の頃に、日本の学者数人と議論したのを読んだことがありますが、まさに、何この人?(合理的疑問を許さない、原典を問われて答えられないとか、私にとっても、韓国人の学者ってひどいな〜と感じた最初の人の一人)って感じでしたが?
>北 朝鮮の檀君 実在説の公表であっただけに、韓国の歴史学界からは幾つかの疑問が すぐさま提出 された。
とりわけ考古学者の崔夢龍は具体的に6つの疑問点を取り 上げているが (崔夢龍「北韓の檀君陵発掘とその問題点」『檀君』ソウル大学校 出版部、1994年、290〜295頁)、本稿では、それらの内容を一々紹介 しないにしても、 北朝鮮で科学的に実証されたとして新説の基本軸に据えている 電子スピン共鳴法に よる年代測定結果や、BC3000年代初めに実在した檀君 の遺骨がなぜ高句麗式 墳墓(AD6〜7世紀頃の形式に酷似)に埋葬されていた のかという2点に対し て、崔の強い疑念が表明されていることだけは忘れないで おきたい。
しかしながら 興味深いことに、古朝鮮建国の始祖檀君が実在するにせよしない にせよ、韓国と北 朝鮮に共通するのは、国家としての檀君朝鮮が実在したとして 疑わないことであ り、それを否定したのは「日帝植民史学者」たちだけであり、「歴 史歪曲」の結果であ った、というのである。
観点を変えると、こうした大合唱に よって、残念ながら、 檀君神話の研究には一種の<聖域>が設定されるわけであ る。
われわれは檀君神話を朝鮮古代神話として取り扱うべきであろうか。 これに 関する韓国・北朝鮮における通説は、檀君神話の粗型が古朝鮮時代に成 立し、それ が13世紀末に僧・一然の手で記録されるまでの間、ほぼ原型に近い 形で口承され 伝承され保存されてきたというのである。
この考えの最大の弱点 は、言うまでもな く文献記録の初見が古朝鮮から遥かに後代の高麗時代のみに確 認されることであ る。
だがこの点を指摘することは、半島の研究者たちの怒りを 覚悟しなくてはなら ない。というのも彼らには、『三国遺事』などの一部の資料 を除外すれば、檀君関 係資料はすべて日帝植民史学者たちによって完全に抹殺さ れ・廃棄されたという反 論が用意されているからである。
しかしながら常識的に考えても、高麗時代に編纂 された『三国遺事』に定着す るまでの約3600年の間(檀紀。北朝鮮:およそ4 300年間)、どのように 誰がこの檀君神話を保存・管理してきたかの説明を抜き にした議論には、どうし ても承服しがたいのである。
これまでも繰り返し指摘され ていることであるが、 例えばAD1123年に高麗を訪れた中国人・徐兢の見聞記 『宣和奉使高麗図 経』「建国」の章にも、檀君に関する言及が皆無である。
本来な らば、もっとも 聞かせたい神話であるはずだが、奇妙なことに一言もない。
それ に加えて、檀君を記述した記事の後半部分に登場する箕子への言及がほと んどな く、それがまったく無視されていることは驚くばかりである。次の記事で ある。
「唐高(尭)の即位五十年庚寅に平壌城を都とし、始めて朝鮮と称した。そ れから都を白岳山阿斯達に移した。これは弓忽山とも今於山ともいう。国 を治めること千五百年にして、周虎(武)王の即位己卯の年に箕子が朝鮮 に封 ぜられたので、檀君は蔵唐京に移り、後また阿斯達に隠れて山神とな った。 寿千九百八歳であった。」
周知の通り、古朝鮮には檀君朝鮮と 箕子朝鮮・衛氏朝鮮の三王朝が興亡したと 伝わっている。
そして箕子朝鮮開国伝説 だけならば、『史記』や『漢書』地理志 などに載録されており、少なくともBC4 〜3世紀頃にこの始祖伝説が物語られ ていたと確認できる。
しかしながら中国史書 に残る箕子伝説には、『三国遺事』 にみるような檀君から箕子への王権移譲のスト ーリーなどないばかりでなく、ま ったくその名さえも現れてこない。 こうした二つ の理由を挙げるだけでも、檀君神話を朝鮮古代神話であるとか、 檀君神話を史実と 認定する韓国や北朝鮮の研究たちの説に、安易に鵜呑みにしが たい。<
北朝鮮の檀君捏造の頃に、日本の学者数人と議論したのを読んだことがありますが、まさに、何この人?(合理的疑問を許さない、原典を問われて答えられないとか、私にとっても、韓国人の学者ってひどいな〜と感じた最初の人の一人)って感じでしたが?
>北 朝鮮の檀君 実在説の公表であっただけに、韓国の歴史学界からは幾つかの疑問が すぐさま提出 された。
とりわけ考古学者の崔夢龍は具体的に6つの疑問点を取り 上げているが (崔夢龍「北韓の檀君陵発掘とその問題点」『檀君』ソウル大学校 出版部、1994年、290〜295頁)、本稿では、それらの内容を一々紹介 しないにしても、 北朝鮮で科学的に実証されたとして新説の基本軸に据えている 電子スピン共鳴法に よる年代測定結果や、BC3000年代初めに実在した檀君 の遺骨がなぜ高句麗式 墳墓(AD6〜7世紀頃の形式に酷似)に埋葬されていた のかという2点に対し て、崔の強い疑念が表明されていることだけは忘れないで おきたい。
しかしながら 興味深いことに、古朝鮮建国の始祖檀君が実在するにせよしない にせよ、韓国と北 朝鮮に共通するのは、国家としての檀君朝鮮が実在したとして 疑わないことであ り、それを否定したのは「日帝植民史学者」たちだけであり、「歴 史歪曲」の結果であ った、というのである。
観点を変えると、こうした大合唱に よって、残念ながら、 檀君神話の研究には一種の<聖域>が設定されるわけであ る。
われわれは檀君神話を朝鮮古代神話として取り扱うべきであろうか。 これに 関する韓国・北朝鮮における通説は、檀君神話の粗型が古朝鮮時代に成 立し、それ が13世紀末に僧・一然の手で記録されるまでの間、ほぼ原型に近い 形で口承され 伝承され保存されてきたというのである。
この考えの最大の弱点 は、言うまでもな く文献記録の初見が古朝鮮から遥かに後代の高麗時代のみに確 認されることであ る。
だがこの点を指摘することは、半島の研究者たちの怒りを 覚悟しなくてはなら ない。というのも彼らには、『三国遺事』などの一部の資料 を除外すれば、檀君関 係資料はすべて日帝植民史学者たちによって完全に抹殺さ れ・廃棄されたという反 論が用意されているからである。
しかしながら常識的に考えても、高麗時代に編纂 された『三国遺事』に定着す るまでの約3600年の間(檀紀。北朝鮮:およそ4 300年間)、どのように 誰がこの檀君神話を保存・管理してきたかの説明を抜き にした議論には、どうし ても承服しがたいのである。
これまでも繰り返し指摘され ていることであるが、 例えばAD1123年に高麗を訪れた中国人・徐兢の見聞記 『宣和奉使高麗図 経』「建国」の章にも、檀君に関する言及が皆無である。
本来な らば、もっとも 聞かせたい神話であるはずだが、奇妙なことに一言もない。
それ に加えて、檀君を記述した記事の後半部分に登場する箕子への言及がほと んどな く、それがまったく無視されていることは驚くばかりである。次の記事で ある。
「唐高(尭)の即位五十年庚寅に平壌城を都とし、始めて朝鮮と称した。そ れから都を白岳山阿斯達に移した。これは弓忽山とも今於山ともいう。国 を治めること千五百年にして、周虎(武)王の即位己卯の年に箕子が朝鮮 に封 ぜられたので、檀君は蔵唐京に移り、後また阿斯達に隠れて山神とな った。 寿千九百八歳であった。」
周知の通り、古朝鮮には檀君朝鮮と 箕子朝鮮・衛氏朝鮮の三王朝が興亡したと 伝わっている。
そして箕子朝鮮開国伝説 だけならば、『史記』や『漢書』地理志 などに載録されており、少なくともBC4 〜3世紀頃にこの始祖伝説が物語られ ていたと確認できる。
しかしながら中国史書 に残る箕子伝説には、『三国遺事』 にみるような檀君から箕子への王権移譲のスト ーリーなどないばかりでなく、ま ったくその名さえも現れてこない。 こうした二つ の理由を挙げるだけでも、檀君神話を朝鮮古代神話であるとか、 檀君神話を史実と 認定する韓国や北朝鮮の研究たちの説に、安易に鵜呑みにしが たい。<
これは メッセージ 61 (wakatakeru_x さん)への返信です.
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