Re: 食事会は
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/07/20 11:13 投稿番号: [4309 / 28555]
福沢諭吉が見たコリアン
右は本月16日時事新報の朝鮮事件欄内に掲載したるものなれば、読者も知らるる所ならん。抑も此刑戮は国事犯に起りたるものにして、事の正邪は我輩の知る所に非ず。刑せられたる者と刑したる者と、孰れが忠臣にして孰れが反賊にても、我輩の痛痒に関するなしと雖ども、今の事大党政府の当局者が能く人を殺して残忍無情なるの一事に於ては、実に驚かざるを得ず。現に罪を犯したる本人を刑するは国事に至当のことならんなれども、右犯罪人の中、車弘植の如きは徐載弼の僕にして、変乱の夜、提灯を携えて主人の供をしたるまでの罪にして死刑を免れず。壮大の男子を殺すは尚忍ぶべしとするも、心身柔弱なる婦人女子と白髪半死の老翁老婆を刑場に引出し、東西の分ちもなき小児の首に縄を掛けて之を絞め殺すとは、果して如何なる心ぞや。尚一歩を譲り老人婦人の如きは識別の精神あれば、身に犯罪の覚えなきも我子我良人が斯る身と為りし故に、我身も斯る災難に陥るものなりと、冤ながらも其冤を知りて死したることならんなれども、3歳5歳の小児等は父母の手を離るるさえ泣き叫ぶの常なるに、荒々しき獄卒の手に掛り、雪霜吹き晒らしの城門外に引摺られて、細き首に縄を掛けらるる其時の情は如何なるべきや。唯恐ろしき鬼に掴まれたる心地するのみにして、其索の窄まりて呼吸の絶ゆるまでは殺さるるものとは思わず、唯父母を慕い、兄弟を求め、父よ母よと呼び叫び、声を限りに泣入りて、絞索漸く窄まり、泣く声漸く微にして、終に絶命したることならん。人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり。而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋るに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。事大党の人々は能くも忍んで此無情の事を為し、能くも忍んで其刑場に臨監したるものなり。文明国人の情に於ては罹災の人の不幸を哀むの傍に、又他の残忍を見て寒心戦慄するのみ。抑一国の法律は其国の主権に属するものにして、朝鮮に如何なる法を設けて如何なる惨酷を働くも、他国人の敢て喙を容るべき限りに非ず。我輩これを知らざるに非ずと雖ども、凡各国人民の相互に交際するは、唯条約の公文にのみ依頼すべきものにあらず、双方の人情相通ずるに非ざれば、修信も貿易も殆ど無益に帰するもの多きは、古今の事実に証して明に見るべし。然るに今朝鮮国の人情を察するに、支那人と相投じて其殺気の陰険なること、実に吾々日本人の意相外に出るもの多し。故に我輩は朝鮮国に対し、条約の公文上には固より対等の交際を為して他なしと雖ども、人情の一点に至ては、其国人が支那の覊軛を脱して文明の正道に入り、有形無形一切の事に付き吾々と共に語りて相驚くなきの場合に至らざれば、気の毒ながら之を同族視するを得ず。条約面には対等して尊敬を表するも、人民の情交に於て親愛を尽すを得ざるものなり。西洋国人が東洋諸国に対し、宗旨相異なるがために双方人民の交際、微妙の間に往々言うべからざるの故障を見ることあり。今我輩日本人民も朝鮮国に対し又支那国に対して、自から微妙の辺に交際の困難あるを覚るは遺憾に堪えざる次第なり。
右は本月16日時事新報の朝鮮事件欄内に掲載したるものなれば、読者も知らるる所ならん。抑も此刑戮は国事犯に起りたるものにして、事の正邪は我輩の知る所に非ず。刑せられたる者と刑したる者と、孰れが忠臣にして孰れが反賊にても、我輩の痛痒に関するなしと雖ども、今の事大党政府の当局者が能く人を殺して残忍無情なるの一事に於ては、実に驚かざるを得ず。現に罪を犯したる本人を刑するは国事に至当のことならんなれども、右犯罪人の中、車弘植の如きは徐載弼の僕にして、変乱の夜、提灯を携えて主人の供をしたるまでの罪にして死刑を免れず。壮大の男子を殺すは尚忍ぶべしとするも、心身柔弱なる婦人女子と白髪半死の老翁老婆を刑場に引出し、東西の分ちもなき小児の首に縄を掛けて之を絞め殺すとは、果して如何なる心ぞや。尚一歩を譲り老人婦人の如きは識別の精神あれば、身に犯罪の覚えなきも我子我良人が斯る身と為りし故に、我身も斯る災難に陥るものなりと、冤ながらも其冤を知りて死したることならんなれども、3歳5歳の小児等は父母の手を離るるさえ泣き叫ぶの常なるに、荒々しき獄卒の手に掛り、雪霜吹き晒らしの城門外に引摺られて、細き首に縄を掛けらるる其時の情は如何なるべきや。唯恐ろしき鬼に掴まれたる心地するのみにして、其索の窄まりて呼吸の絶ゆるまでは殺さるるものとは思わず、唯父母を慕い、兄弟を求め、父よ母よと呼び叫び、声を限りに泣入りて、絞索漸く窄まり、泣く声漸く微にして、終に絶命したることならん。人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり。而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋るに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。事大党の人々は能くも忍んで此無情の事を為し、能くも忍んで其刑場に臨監したるものなり。文明国人の情に於ては罹災の人の不幸を哀むの傍に、又他の残忍を見て寒心戦慄するのみ。抑一国の法律は其国の主権に属するものにして、朝鮮に如何なる法を設けて如何なる惨酷を働くも、他国人の敢て喙を容るべき限りに非ず。我輩これを知らざるに非ずと雖ども、凡各国人民の相互に交際するは、唯条約の公文にのみ依頼すべきものにあらず、双方の人情相通ずるに非ざれば、修信も貿易も殆ど無益に帰するもの多きは、古今の事実に証して明に見るべし。然るに今朝鮮国の人情を察するに、支那人と相投じて其殺気の陰険なること、実に吾々日本人の意相外に出るもの多し。故に我輩は朝鮮国に対し、条約の公文上には固より対等の交際を為して他なしと雖ども、人情の一点に至ては、其国人が支那の覊軛を脱して文明の正道に入り、有形無形一切の事に付き吾々と共に語りて相驚くなきの場合に至らざれば、気の毒ながら之を同族視するを得ず。条約面には対等して尊敬を表するも、人民の情交に於て親愛を尽すを得ざるものなり。西洋国人が東洋諸国に対し、宗旨相異なるがために双方人民の交際、微妙の間に往々言うべからざるの故障を見ることあり。今我輩日本人民も朝鮮国に対し又支那国に対して、自から微妙の辺に交際の困難あるを覚るは遺憾に堪えざる次第なり。
これは メッセージ 4308 (xenogenousid さん)への返信です.
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