昔も今も変わらぬ中国人根性
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/06/14 10:12 投稿番号: [25033 / 28555]
婦女子掠奪の四川の諸軍閥
四川剿匪軍第三路軍副指揮羅沢州氏は四川軍閥中でも悪辣な男で彼の守備区域(資中、儀隴方面)では部下の軍隊は到るところ掠奪を逞しくするので、民衆の方では共産軍よりも恐れる、資中県の磐石女学校に李俊逸という女学生がいた、美貌で「ミス資中」の名があった、ある日、不幸にして彼女は羅沢州の目にとまった、好色の羅は「ミス資中」を垣間見てその父親に娘を所望し結婚を申込んだその時羅は四十六歳、娘は十六歳であった、種々の事情で娘の父は羅の申込を婉曲に拒絶したところ羅は参謀長に旨を含め「云うことをきかなければ一家は皆殺しだ」と脅し無理矢理従わせようとしたので、「ミス資中」の父親は同地にあるミッションに救いを求めた、イギリス人牧師は娘を教会にかくまった上、新聞紙上に彼女はアメリカに留学した旨を広告して、羅の追求を逃れようとした、羅は激怒してその父を捕え体刑を加えた、彼は教会に出かけて行って娘に会ったが、娘は「死んでも軍閥には嫁ぐことが出来ません」ときっぱり刎ねつけたのである、羅は彼女の父を「共匪」と誣って銃殺した
最近昌隆、隆昌両地にある留守営長郭某は軍閥である自分の親父の勢力を恃んで横暴な振舞いをしていたが、黄姓の女学生に懸想し部下の兵を派遣して彼女を掠奪することを命じた、娘の父が極力阻止したので、兵士は先ずこれを血祭にあげ、彼女もまた反抗したので殺し、最後に彼女の兄が、訴に行く途中に之も殺してしまった、郭某は逃走し、その父の軍閥師長は黄家と示談の運動中であると伝えられている
かような軍閥の横暴は日常茶飯事であるが、四川省は軍閥ばかりでなく、共産軍士豪、劣紳、土匪、団匪や教匪の禍に苦しんでいる、団匪と教匪は耳新しいもので四川独特のものであるが、団匪は最初は自衛団のようなものであったが軍閥のやり方にまねて悪い方に転向した、そのリーダーはルンペンの青年を集めて訓練を施し一の団閥を形成し、少数の軍隊に出会す時は包囲して武器を取りあげ附近の村落を掠奪する、大部隊の軍隊が来る時は逸早く逃走する
教匪は四川農村の崩潰の過程中にあって無頼漢やルンペンが宗教的色彩のもとに集合したものであるが、勢を得ると掠奪をすることもある、それは、往年河南に出現した紅槍会匪に類似するが、それには松杉教、紅灯教灯火教、紅巾匪等があり神壇を設け衆を擁して騒ぎ立てる厄介な代物である
四川省の民衆が如何な窮状にあるかは今日我々が想像することも出来ないほどである、剿匪軍は到るところ拉夫(軍夫として強制的に徴発された人夫)として給金を与えず、苦役に附し用が終えれば現地で放逐するこれによって飯の食えぬ難民が多数生ずる、彼らは自己の村に帰ろうとするけれども、その村は既に共産軍に占領されソヴィエト区と化しているのである二十一軍長楊森氏は田頌尭氏に対し難民にしてソヴィエト区に帰らんとする者は殺してしまえと電命したと成都社会日報は報じているが、民衆は飢餓と死線上に彷徨しなければならない、四川省に何故「共匪」が横行するかということはこの一事を以ってよく諒解しうるのである
四川剿匪軍第三路軍副指揮羅沢州氏は四川軍閥中でも悪辣な男で彼の守備区域(資中、儀隴方面)では部下の軍隊は到るところ掠奪を逞しくするので、民衆の方では共産軍よりも恐れる、資中県の磐石女学校に李俊逸という女学生がいた、美貌で「ミス資中」の名があった、ある日、不幸にして彼女は羅沢州の目にとまった、好色の羅は「ミス資中」を垣間見てその父親に娘を所望し結婚を申込んだその時羅は四十六歳、娘は十六歳であった、種々の事情で娘の父は羅の申込を婉曲に拒絶したところ羅は参謀長に旨を含め「云うことをきかなければ一家は皆殺しだ」と脅し無理矢理従わせようとしたので、「ミス資中」の父親は同地にあるミッションに救いを求めた、イギリス人牧師は娘を教会にかくまった上、新聞紙上に彼女はアメリカに留学した旨を広告して、羅の追求を逃れようとした、羅は激怒してその父を捕え体刑を加えた、彼は教会に出かけて行って娘に会ったが、娘は「死んでも軍閥には嫁ぐことが出来ません」ときっぱり刎ねつけたのである、羅は彼女の父を「共匪」と誣って銃殺した
最近昌隆、隆昌両地にある留守営長郭某は軍閥である自分の親父の勢力を恃んで横暴な振舞いをしていたが、黄姓の女学生に懸想し部下の兵を派遣して彼女を掠奪することを命じた、娘の父が極力阻止したので、兵士は先ずこれを血祭にあげ、彼女もまた反抗したので殺し、最後に彼女の兄が、訴に行く途中に之も殺してしまった、郭某は逃走し、その父の軍閥師長は黄家と示談の運動中であると伝えられている
かような軍閥の横暴は日常茶飯事であるが、四川省は軍閥ばかりでなく、共産軍士豪、劣紳、土匪、団匪や教匪の禍に苦しんでいる、団匪と教匪は耳新しいもので四川独特のものであるが、団匪は最初は自衛団のようなものであったが軍閥のやり方にまねて悪い方に転向した、そのリーダーはルンペンの青年を集めて訓練を施し一の団閥を形成し、少数の軍隊に出会す時は包囲して武器を取りあげ附近の村落を掠奪する、大部隊の軍隊が来る時は逸早く逃走する
教匪は四川農村の崩潰の過程中にあって無頼漢やルンペンが宗教的色彩のもとに集合したものであるが、勢を得ると掠奪をすることもある、それは、往年河南に出現した紅槍会匪に類似するが、それには松杉教、紅灯教灯火教、紅巾匪等があり神壇を設け衆を擁して騒ぎ立てる厄介な代物である
四川省の民衆が如何な窮状にあるかは今日我々が想像することも出来ないほどである、剿匪軍は到るところ拉夫(軍夫として強制的に徴発された人夫)として給金を与えず、苦役に附し用が終えれば現地で放逐するこれによって飯の食えぬ難民が多数生ずる、彼らは自己の村に帰ろうとするけれども、その村は既に共産軍に占領されソヴィエト区と化しているのである二十一軍長楊森氏は田頌尭氏に対し難民にしてソヴィエト区に帰らんとする者は殺してしまえと電命したと成都社会日報は報じているが、民衆は飢餓と死線上に彷徨しなければならない、四川省に何故「共匪」が横行するかということはこの一事を以ってよく諒解しうるのである
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