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歌は世につれ、世は歌につれ

投稿者: ma_ikerujyoudan 投稿日時: 2011/08/09 16:44 投稿番号: [19158 / 28555]
一つの詩で全ては語れない。

〔与謝野晶子〕とは
・1904年(明治37年)9月、半年前に召集され日露戦争の旅順攻囲戦に予備陸軍歩兵少尉として従軍していた弟を嘆いて『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表
・晶子は「嫌戦の歌人」という印象が強いが、1910年に発生した第六潜水艇の沈没事故の際には、「海底の   水の明りにしたためし   永き別れの   ますら男の文」等約十篇の歌を詠み、第一次世界大戦の折は『戦争』という詩のなかで、「いまは戦ふ時である   戦嫌ひのわたしさへ   今日此頃は気が昂る」と極めて励戦的な戦争賛美の歌を作っている。満州事変勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州国成立を容認・擁護し、1942年(昭和17年)に発表した『白櫻集』で、以前の歌「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、戦争を美化し、鼓舞する歌を作った。例えば、「強きかな   天を恐れず   地に恥ぢぬ   戦をすなる   ますらたけをは」や、海軍大尉として出征する四男に対して詠んだ『君死にたまうことなかれ』とは正反対の意味となる「水軍の   大尉となりて   わが四郎   み軍にゆく   たけく戦へ」など。このようなことから、反戦家としては一貫性がなかった。日露戦争当時に「幸徳秋水の反戦論は大嫌いだ」と公言しているが、大逆事件では秋水ら死刑になった十二人に「産屋なる   わが枕辺に   白く立つ   大逆囚の   十二の棺」という歌を1911年3月7日に『東京日日新聞』に発表している。刑死者の一人大石誠之助は『明星』の同人で関わりも深く、また女性でただ一人死刑となった管野スガは未決在監中に平出修弁護士に晶子の歌集の差し入れを頼んでいるが、晶子は直接差し入れなかったことを悔恨して小林天眠への手紙に残している。
・政治評論については反共産主義、反ソ連の立場から論陣を張った。その論文の数は、20本を越える。『君死にたまふことなかれ』を前面に出してはいたが前述のように、一貫性がなく、当時『労農主義』として紹介されていたマルクス・レーニン主義も批判していた。
・なお、晶子の弟は日露戦争から帰還し、1944年(昭和19年)まで生きている。
(ウィキより抜粋)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E6%99%B6%E5%AD%90
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