これが事実
投稿者: filthymacnasty2 投稿日時: 2004/08/05 11:58 投稿番号: [2798 / 9280]
>倭寇は中国侵略虐殺略奪を無数にやらかした
元末から明初の「倭寇(初期倭寇)」の主体が朝鮮人であったことを知ってる?
朝鮮の史書「世宗実録」にそのあたりのことは詳しく書いてある
明の中期の「倭寇(後期倭寇)」については、その圧倒的多数は中国人自身だった
もちろん特に初期の「倭寇」には、日本人も相当数いたが、日本人が「倭寇」の大部分を占めていたとの認識は間違い
>元は沖で模様眺めして平和に引き返した
二度にわたる「元寇」の顛末は以下の通り
一度目の「文永の役」(1274年)では、「元軍」は3万人を動員し、900隻の船で侵攻してきた
まず対馬、壱岐を占領して虐殺を繰り広げた後、博多湾に上陸し、鎌倉幕府の武士と戦闘
しかし戦闘は昼間だけで、夜は船に寝に帰っていた
そのような折、台風がやって来て、多くの元船を沈めたので、「元軍」はこれ以上の戦闘継続は不可能と見て退却した
二度目の「弘安の役」(1281年)では、「元軍」は14万人を動員し、4400隻で侵攻してきたが、あらかじめ武士が博多湾の防御を固めていたので、博多湾になかなか上陸できず、やむなく波打ち際で戦闘
そのうち夜毎小船で夜襲を掛け、元船に乗り込んで来て切り捲る武士に「元軍」は苦戦を強いられるようになった
その時、またもや台風がやって来て、元船の四分の三が沈没、結局生きて大陸に帰れたのは、3万人に満たなかった
これは メッセージ 2787 (hiroshiyassan さん)への返信です.
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