国によって死を強いられた人々..
投稿者: katom2002jp 投稿日時: 2004/04/03 22:49 投稿番号: [2293 / 9280]
’アメリカの平和’の時代が終わり、
人権と民主主義の理念の下、
世界政府が、平等な平和の地球を担保する
という理想が、いよいよ、蜃気楼のように
思われるこの時代にあって、
もはや、進歩史観と普遍主義の世界史を
唱えたい・られるとは、私も思っていないとは、理解してくださっていると思います。
歴史認識の問題、国際法と固有性の問題、
全て、言葉をお返しにならなかったことが
けっして、わたしの観点を是認してくださってのことではないにせよ、
「国によって死を強いられる人々..」が
また、生れないことを希求するだけでは
済まされないような、時代の悪化の中で、
差別の無い、地球村の実現のための一里塚
として身を捧げてくださったと、先の大戦
で生を歪められた人々を意味付けることでは満足できない、遺族・関係者のプライドの問題。
国に殉じて、そのことを国が忘れ去ってしまう理不尽さへの怒り、
先の大戦は、軍部が、民衆を騙し、軍国主義によって、民衆の口を封じて自らの野心を遂げたものなどでは断じてないのだ...
南手様。中越戦争は、私には、衝撃的な事件でした。エコロジーの問題意識のある者からすると、天安門事件は、「跳ね上がり」の挑発行為という感じをどうしても拭えない面があります。
しかし、中越戦争は、excuseが、私には見つからなかった。
そして、他人より自分に厳しく
この公準は離したくない。
であるから、
教科書問題で、教科書の自主性の問題を
担保しなければならないから、靖国には、行かない。
これが、自らに厳しいということだと考えました。
8・15の国主催の戦没者慰霊式を深めること、これが、国としてのあるべき姿であり、
神社本庁につながり、その鳥居の広告に明らかな「戦争神社」ヤスクニが、総理大臣の特別の恩顧を21世紀も受けつづけることは許されないと考えるのです。
どうか、厳しい批判に値する分になっていますよう。
今の日本の繁栄は、冷戦の下での、技術革新を、それまでの制約ナシに思う存分できたこと、戦時の集団主義が、戦後の官僚主導の経済運営に生かされたことなど、もっと、シビアに見なければならない側面も多々あると考えています。
A級なんとかということではなく、指導層の
問題は、戦後もそのまま受け継がれてきていると考えています。
(気配りと和の世界観こそが、継承されるべき)
これは メッセージ 2273 (chugoku_nante さん)への返信です.
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