オスプレイを考える
投稿者: ujdwtrer 投稿日時: 2013/01/31 16:33 投稿番号: [14 / 14]
オスプレイは原発のようなものだと思う。
多少の危険は承知の上で、その危険と得られるメリットとの兼ね合いを考えるのが大人の思考である。それを危ないから全部駄目というのは大人げない。
今や追い詰められて居所を失った左翼達は喜んで原発やオスプレイの危険性を訴え、日本を攪乱しようとしている。
かつては安保闘争や成田闘争が彼等の存在感を示すイベントだったが、今のところはオスプレイ以外に無いのである。
以前、誰かが野田首相はオスプレイに乗って安全性をアピールせよと書いていた。
これを読んで思い出したのは、カイワレ大根を食べている菅直人厚生大臣(当時)のフヤけたマヌケ顔である。
何かことがあると大臣や首相が安全性をアピールして物を食べたり飲んだりする。
しかし、「嫌われ者世に憚る」で毒を飲んでも食べても彼らは死にはしないだろう。
オスプレイ配備に賛成の諸氏の論旨はごもっともだが、時の首相が一回オスプレイに試乗したくらいでは反対派は収まらないだろう。
彼等はどうしてでもオスプレイの危険性をネタに日米を離反させ、中国を利することを狙っているからである。
普天間基地から辺野古沖基地への移設が出来ていれば、オスプレイの危険性も極小化できたはずである。
普天間基地では子供達が遊ぶ小学校の校庭の上を大爆音を立てて米軍ジェットが離着陸している。テレビでたびたび放映されているあの映像である。
こんな危険な場所になぜ小学校を建てたのかというのも疑問だし、小学校を安全な場所に移設しようとするPTAに頑として移設させない左翼運動家が居ると言う。
要するに、左翼は主義主張のために子供の命を利用しているだけなのである。
しかし辺野古の海上基地の隣に小学校を建てるとは言わないだろう。
日本にオスプレイを配備されては困るのは中国である。
そう考えれば、おのずと答えは出て来る。オスプレイ反対派の正体は明らかだ。
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