re:殺せ!と神が命じるとき
投稿者: TNKTNKLTSTR_144000 投稿日時: 2001/10/02 20:50 投稿番号: [79279 / 177456]
アメリカの宗教は政教一致と言われています。またカルビン派から派生した宗派がアメリカを開拓したピューリタンであり、カルビン派は予定説という、人間は生まれながらにして救済にいたるものとそうでないものが分けられる、という前提にたっていると言われています。これもルターの信仰義認論、つまり救済にいたるためには一切の善行を必要とせず、ただ信仰のみによる、という前提から生まれた亜流です。またルターの信仰義認論の前提となっているものが3世紀のアタナシウス信条といわれる、キリストの三位一体性を定義したものです。ここではキリストの1人格が反故にされ父、子、聖霊の定義が3人格に分離されていると言われます。「永遠から生まれた神の子」というパラドックスが用いられ、理性ある誰にも理解できない内容となっています。学者によると聖域とされ「信仰が理解に従う」のではなく「理解が信仰に従う」ものとなっているようです。理解できないものを誰が承認し得るのか不思議なところですが、キリスト教にはそのような誤謬の歴史があるのです。(もちろん宗派を問わず立派な方は山ほどいます。たとえば、ジョン・バニヤン、ボンヘッファーなど有名無名を問わず)
また、神が殺人や戦争や略奪を命じるというのはまったくの誤解としかいいようがありません。誰が磔刑になりながらも加害者を許したイエス・キリストにそのようなことを思うのでしょうか。旧約聖書に描かれているものは生きた聖書と呼ばれるイエスの内面に他なりません。モーセは十戒を定めました。その中に「安息日を覚えてこれを聖とせよ。」と言いましたが、イエスは「人の子は安息日の主である」と言いました。イエスの神性・人間性がそのものが安息日であるわけです。ですから旧約聖書に描かれる殺戮や侵略を字義どおりに解釈するのは誤りです。内的な自己愛との戦争を描いたものであると推測されます。(もちろん歴史的には実際に起こった事柄が数多く描かれているのでしょうが、)
インディアンの殺戮について実情を知らない私は何も言うことができませんが、あなたは聖書とキリスト教について誤解しています。
これは メッセージ 39797 (iazuukoyu さん)への返信です.
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