対米全面テロ

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>よくわかりました。

投稿者: kenjixjw 投稿日時: 2001/09/25 09:55 投稿番号: [70087 / 177456]
>その原因は、人を見ているからです。

>神を見て、それから神を通して人をみて
はじめて、愛をみつけることができると私はいつも考えています。

神をみろと言われても、神は見えないですから、結局心の中で感じる(勘違い)、あるいは信じる(盲信)しかないでしょう。

私も宇宙の秩序とか、生物の神秘などを考えるときに、偉大な精神、創造主(神)の存在を認めざるを得ないし、それを疑ったことは子供のときに信仰をもって以来ありません。

人は人ですから、人を通してしか社会に関わることはできないし、ましてや神を感じることなどできはしません。
神は愛であるというならなぜこれほどまでにそれに反する現実が世界ではびこるのか?その質問に答えて人を神へ導くことが任務であるはずのキリスト教会自身が愛に反することばかりやっている。これでは、人がキリスト教をはじめとした宗教に無関心になるのは当然です。立派なお題目を公約として唱えながら、いったん当選するとなんだかんだといって反故にする政治家のために人々が政治に無関心になるのと同様です。

>教会内で、牧師であろうと、長老であろうと、愛にあって思ったことをなんでも発言できないような教会は、はっきりと病をもっています。キツクいえば死んでいる。
ちょっといいにくいことですが、大きな団体に属している教会はこの罠に陥りやすいです。教理なんかを後生大事にしているからです。

ほとんどの教会が、そうだと思いますが。でなければ、教会として成立しえないでしょう。基本教理に真っ向から逆らって、容認される教会などあるでしょうか。破門されて、組織としては解体しても、信仰は残るとのお考えなら、私もその通りだと思いますし、やはり組織としての宗教は人を惑わすものであるし有害でさえあると思います。

心のひだのない人は、善良であっても他の人の気持ちに対する配慮や同情心も持ち合わせていない人間であることが多く、当の本人はそういう自らの心の平板さが人を傷つけることがあるのに気付かないことがよくあります。
よって、イエスの山上の垂訓にもあるように、心の傷を背負っていることを私は恥じてはいません。世間的には、後ろめたい思いをすることはよくありますが、それはそれで別の問題です。

多くの宗教組織に属する人は、家族がその信者であるなどの場合でなければ、自ら求める人は何らかの心の傷などの内面的衝動に突き動かされて門を叩くのです。そういった動機で宗教を求める人が、やがて組織の力学に組み込まれ、ある人はそのなかで階段をのぼりつめることに没頭したり、頑迷で自分たちの信仰を持たない人や組織内でも自分より立場の弱い人を見下すような人間になっていくのを見るのはやはり気持ちのいいものではありません。一方、家族が信者でたいした葛藤もなく宗教に入った人は、こうした人々の心の内面の問題に無関心あるいは無神経である場合が多いです。

他の人間のつくる組織と全く同様の問題が宗教組織にも存在するのであり、神の愛をとなえながらその実態は教条主義や権威主義、内部での出世争い、いさかい、いがみ合いであるという現実に直面するとき、宗教は全く必要なく有害でさえあるという意見に賛同します。

みな等しく神の創造物、神の子である以上、たとえ神を信じなくても全く平等に神の愛は注がれると考えるべきではありませんか。その意味では信仰を持とうが持つまいが同じであり、人間の親でさえできの悪い親不孝者だからなおさら可愛いということがあるのですから、愛そのものである神が神に向いていないからといって罰したり滅ぼしたりすることはないと考えるべきでしょう。

こういう考え方の方がよっぽど世界平和に近いのであり、現在の宗教のあり方を見る以上、その内部でさえ見られるように、戦争や争い、いさかいを誘発しているとみなされても致し方ありません。
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