たとえ話をするなら
投稿者: wakaba154 投稿日時: 2001/09/19 18:47 投稿番号: [55396 / 177456]
「軽薄な米国批判」ではテロ否定にはならないことはおっしゃるとおりだと思います.しかしまた「すべての米国批判=テロ容認」でもないのはいうまでもないと思います.
> 米国はまだ国際的なルール(成文、不成文問わず)や論理の枠内での行動しかしていないし、できない
そうです.だからこそ批判も有効なときがあるわけで.
ところで、
>「武力行使絶対反対、対話すべき」などという人達は、実際に家の隣に頭イカレタ人が住み着き、刃物振り回し、自
分の子供が刺されても「対話で解決を」などと甘っちょろいこと言うのか?
このたとえ話の続きはどうなりますか?
「頭のイカレタ人を退治するといって警察がやって来て、そこに人質になっている人々まで殺すことを黙って見ている」とはなりませんか?いや、見ているだけじゃなくて自分も手助けをしようというのです.
誰がやるにせよ難しい選択に違いないのです.しかし小泉首相に靖国参拝のときのような「苦悩」がみじんも見られないのは、アメリカがやろうとしていることを「近所のこと」とすら認識していないからではないかと感じるのは私だけでしょうか?
これは メッセージ 54606 (rejoicing さん)への返信です.
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