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WTC映像とリアリティ

投稿者: norikoo68 投稿日時: 2001/09/17 16:46 投稿番号: [46102 / 177456]
  今回の激突と爆発でも、やはり予想通りと言うべきか、「映画のようだ」
という常套句が出ている。《ダイハード3》や《インディペンダンス・
デイ》などの作品があげられているし、《インディペンダンス・デイ》
にいたっては、アメリカのテレビ局での予定されていた放映が中止されて、
《ミセス・ダウト》に代わったという(ものすごい交代劇...)。
湾岸戦争のときの空爆中継後に、「ビデオゲームのようだ」という言葉が
席捲したのも思い出させる。
  今回に限らないのだが、この手の問題は、自分も被害にあったかあわないか、
被害に会った人が近くにいるか、いないか、ニューヨークを近くに感じるか、
なんだかんだで遠くに感じるか、どんな状況であの映像を見始めたか、
テロ映画やSF映画をたくさん観ているか観ていないか、「社会的事件」
に対してどのような態度・距離をとる性癖かetcによって、どう感じるかは
多様であることを前提としたうえで、今回の「映画のようだ」という常套句
について思うことを。
  まず、今回の事件を、かりに「映画のようだ」と感じるにしても、それは
湾岸戦争のときの「ビデオゲームのようだ」とは同じではないだろう。
「映画のようだ」という常套句が出たのは、今回、テレビモニタを
通した映像に対してだけではないからだ。「マンハッタンの青い空
という大きなスクリーンに投影された映画」。そんな表現が、世界貿易センター
ビルの間近にいて、あの破壊の持続を視覚的に体験した人たちの口からも出た
と伝えられている。湾岸戦争のとき、とりわけ、空爆弾が「標的」に落下
していく現場にいた人は、今生存している人ではいないだろう。
  それに、湾岸戦争のときの「ビデオゲームのようだ」は、おそらく
テレビを観ていた者が予期/期待していたショックを、あの映像
は与えなかったからではないか。それに対して、今回の事件、
とりわけ世界貿易センタービルのツインタワーへの旅客機突撃と大崩壊は、
テレビモニタで観ていた者にとっても、目のあたりにできそうなことの地平
を突破していたように思う。現実感がかりに一瞬なりとも喪失したとしたら、
既視感による現実感の喪失というよりも「未視感による現実感の喪失」と
言ったほうがいい。
  心の働きとしては、現実に事件が起きて、それを目のあたりにしたことを
知りながら、その衝撃を否認しようとするメカニズムが、「未視感による現実感
の喪失」なのだろうか。
  「映画のようだ」と言うと実感がただ失われ、現実の事件をあたかも映画の
観客のように眺めてしまう「メディア時代の病」と思われやすいのが、
今回の場合、少なくともテレビを見続けた自分の実感、あるいはマンハッタン
で事故を目の当たりにした人の「映画のようだ」は、よく言われる「メディア時代
の病」とは区別されるようだ。「未視感による現実感の喪失」が、衝撃を否認しよう
として形成されたとするならば、身体-心は既に衝撃をうけいれてしまっている。
  テレビで観ていると、もちろん現場の危機感・興奮・生々しさは薄れる。
それにテレビモニタを通してでさえ最初に感じた「未視感による現実感の喪失」
も喪失していく。そしてテレビではそれとひきかえに、現場のような一度だけの体験
ではなく、変奏される映像をつぎつぎとくりかえし体験することになる。
航空機をとらえた映像の撮影角度が変わり、「航空機やビルの大きさ」
(画面にしめる対象の割合)が変わり、映像のスピードが変わり、
あのスローモーションの映像では、肉眼ではとらえられない「視覚的無意識」(ベンヤミン)
がさらけだされ、航空機の金属がゆっくりと建物のコンクリートにのめりこみ、
それをつきぬけ、コンクリートをくだきちらせ炎上させていく持続が、身体-心に
刻みこまれていくようだ。映像の反復によって初めて生じるリアルな衝撃か。
映像は現実を薄めるだけではなく、濃くすることもあるというひとつの例証ともとれる。
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