歴史教科書に記載される意義
投稿者: kawatube 投稿日時: 2001/09/17 11:35 投稿番号: [44871 / 177456]
人間の本性:大袈裟なテロ行為や戦争は、規模と正義という名目によって、孤高の花のように気高い、というパロールを含んでいる。
程度の差や量的差異が、善悪、支持などに影響する、左右することは、人間の思考性質によるのだろうか。程度の差とは、個人、法的にはある特定の法体系化のメンバーとして、査定され、審判される。
さて、世界法廷、法体系がない場合、メンバーは存在せず、かって気ままな主体が在する。そして、その各主体間の事件は、善悪、支持を超えて、結果のみがある。
このことは、自ずと当事者である主体以外の、存在について規定する。すなわち、結果を予測し、その結末において有利な処置が求められる。
また、結果までの過程において、当事者以外の存在の影響が当事者の行動を規定することは、副次的において可能である。米国は強行できるが、現代社会のグローバル性において、長期的観点から、他国からの支持、不支持などが、規定する。
長期的な世界のあるであろう姿は、およそ見当はずれにおわるだろうか。
米国の一国支配が困難であることを立証した、という意味において、今回のテロは世界史的意義があり、教科書に記述されなくてはならない。
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