人殺しはキリスト教徒の特技
投稿者: iazuukoyu 投稿日時: 2001/09/16 10:30 投稿番号: [39838 / 177456]
ベトナム戦争の時、アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテスタントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎原爆投下の十三年後の事でした。
第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。(全テキスト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957からの引用)」と祈りました。キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われました。勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。
冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。
1959年、ローマでイエズス会士のグンドラハ(G. Gundlach: Die Lehre Pius Xll zum atomaren Krieg, 1959) が法王ピウス12世の原爆戦争についての意見をまとめ、出版された書籍は「原爆戦争そのものは不道徳的ではありません。。。。どうせこの世は永遠には続きません。。。我々人間は世の終わりには責任はない。。。神の摂理でそういう結果に導かれてしまいました。」等々カトリック教の悪徳とも言うべき内容です。
キリスト教信者は、自分達の教会こそ最大の犯罪者なのに、ローマ時代のキリスト教殉教者の役割をこれまでずっと強調してきました。しかし、実際はキリスト教の為に死んだ人の数は極めて少数でした。カールハインツ・デシュナーは色んな歴史の研究者(教会の研究者を含めて)の論文を調べた結果、ローマ時代のキリスト教信者を襲ったという「十回の迫害波」は伝説、つまり作り話しでしかなかった事が判明しました。キリスト教の偉大な人物オリゲネス(254年死亡)はキリスト教の殉教者の数は10指に満たないと述べました。
ネロ(54ー68)のキリスト教大虐殺も実際はただの放火者の死刑でした。当時の歴史学者、スエトン(Sueton)とタキトゥス(Tacitus)は、反ネロであったにもかかわらず、キリスト教の放火者の裁判はネロの善の行為だと書き残しました。ネロは国民から愛され、焼失したローマの一地区の再建に私財をつぎ込んだと言われています。キリスト教の宣伝に描かれている様な悪魔の人物ではなかった様です。
殉教者の多くは狂信者で、ローマの神々の神殿、祭壇や彫刻等を糞尿で汚すなどの無礼な行為や冒涜を行っていました。十六世紀末期、日本人はキリスト教信者に対し、ローマ人と同じ経験をしました。九州では、キリスト教の熱狂信者が、「偶象破壊」として仏教の崇拝物や経典を壊したり、仏塔を解体して薪にし、バテレン(伴天連、キリスト教宣教師)の風呂の燃料にしました。当時、キリスト教に改宗した日本人も仏像に排便した事をバテレンが書き残しました。1988年2月10日、ドイツの日本歴史研究者パウリ博士(Dr.UlrichPauly)はその頃の出来事をドイツ文化会館での講演「鎖国で明らかにしています。
1096年から1291年まで、法王の推奨によりパレスティナの「聖地」への十字軍遠征が七回にわたり行われました。この法王達のパレスティナの「聖地」支配欲により、2千2百万人が犠牲者になったと推測されています
1099年イェルサレムの征服後、この敬謙な十字軍の騎士達は血に酔って女性や子供を含むユダヤ人とアラブ人の市民すべてを、剣で刺し殺しました。約七万人の市民が犠牲になりました。目撃者の記録によると、虐殺の後、血まみれになった騎士達は、幸せの涙を流しながら彼らの救世主イエス・キリストの墓参りをし、神に感謝しました
とにかく、自称「聖戦」に加わった戦士は評判通りの立派な人ではなく、低俗な殺人犯でした。
アメリカの宣教者ビリー・グラハム、日本の東京ドームにての集会の際、日本のキリスト教信者に対し「十字軍の騎士を見習い、日本の社会をキリスト教社会に変身せよ」と訴えました。幸運にも、日本のキリスト教信者は、彼の教えに従って十字軍の騎士の様な犯罪者になる様なことはありませんでした。
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm
第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。(全テキスト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957からの引用)」と祈りました。キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われました。勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。
冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。
1959年、ローマでイエズス会士のグンドラハ(G. Gundlach: Die Lehre Pius Xll zum atomaren Krieg, 1959) が法王ピウス12世の原爆戦争についての意見をまとめ、出版された書籍は「原爆戦争そのものは不道徳的ではありません。。。。どうせこの世は永遠には続きません。。。我々人間は世の終わりには責任はない。。。神の摂理でそういう結果に導かれてしまいました。」等々カトリック教の悪徳とも言うべき内容です。
キリスト教信者は、自分達の教会こそ最大の犯罪者なのに、ローマ時代のキリスト教殉教者の役割をこれまでずっと強調してきました。しかし、実際はキリスト教の為に死んだ人の数は極めて少数でした。カールハインツ・デシュナーは色んな歴史の研究者(教会の研究者を含めて)の論文を調べた結果、ローマ時代のキリスト教信者を襲ったという「十回の迫害波」は伝説、つまり作り話しでしかなかった事が判明しました。キリスト教の偉大な人物オリゲネス(254年死亡)はキリスト教の殉教者の数は10指に満たないと述べました。
ネロ(54ー68)のキリスト教大虐殺も実際はただの放火者の死刑でした。当時の歴史学者、スエトン(Sueton)とタキトゥス(Tacitus)は、反ネロであったにもかかわらず、キリスト教の放火者の裁判はネロの善の行為だと書き残しました。ネロは国民から愛され、焼失したローマの一地区の再建に私財をつぎ込んだと言われています。キリスト教の宣伝に描かれている様な悪魔の人物ではなかった様です。
殉教者の多くは狂信者で、ローマの神々の神殿、祭壇や彫刻等を糞尿で汚すなどの無礼な行為や冒涜を行っていました。十六世紀末期、日本人はキリスト教信者に対し、ローマ人と同じ経験をしました。九州では、キリスト教の熱狂信者が、「偶象破壊」として仏教の崇拝物や経典を壊したり、仏塔を解体して薪にし、バテレン(伴天連、キリスト教宣教師)の風呂の燃料にしました。当時、キリスト教に改宗した日本人も仏像に排便した事をバテレンが書き残しました。1988年2月10日、ドイツの日本歴史研究者パウリ博士(Dr.UlrichPauly)はその頃の出来事をドイツ文化会館での講演「鎖国で明らかにしています。
1096年から1291年まで、法王の推奨によりパレスティナの「聖地」への十字軍遠征が七回にわたり行われました。この法王達のパレスティナの「聖地」支配欲により、2千2百万人が犠牲者になったと推測されています
1099年イェルサレムの征服後、この敬謙な十字軍の騎士達は血に酔って女性や子供を含むユダヤ人とアラブ人の市民すべてを、剣で刺し殺しました。約七万人の市民が犠牲になりました。目撃者の記録によると、虐殺の後、血まみれになった騎士達は、幸せの涙を流しながら彼らの救世主イエス・キリストの墓参りをし、神に感謝しました
とにかく、自称「聖戦」に加わった戦士は評判通りの立派な人ではなく、低俗な殺人犯でした。
アメリカの宣教者ビリー・グラハム、日本の東京ドームにての集会の際、日本のキリスト教信者に対し「十字軍の騎士を見習い、日本の社会をキリスト教社会に変身せよ」と訴えました。幸運にも、日本のキリスト教信者は、彼の教えに従って十字軍の騎士の様な犯罪者になる様なことはありませんでした。
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm
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