民主主義の盟主を名乗るならば
投稿者: nekoyan3sei 投稿日時: 2001/09/13 22:42 投稿番号: [22530 / 177456]
私は完全に力の行使反対ではないけれども、その後の事が重要だと思っている。つまり、真にアメリカが世界と人類への責任を感じているならば、例え国内に強い右派世論があっても、バランスの取れた姿勢を示すべきだ。
第一に裁判にかけるのは得策でないという意見もあったが、主犯となったグループはやはり法にのっとった裁きは受けさせるべきではないだろうか。確かに世界中価値観の相違はあり、国と国の間では奇麗事で済まぬものはあるが、ルール作りは必要だ。
それは至極簡単なもので良いと思う。少なくとも一般市民を巻き込む、無差別攻撃は厳に罰するという姿勢だ。特例は認める必要はない。テロにも、国家としての行動にもだ。各国が法治国家を名乗る以上、法にてらした解決手段には最大限、努力を払うべきだ。
この場合、今回の件に関しては時間的余裕から見て不可能かもしれないが、一国の法で裁くのではなく、例えばユーゴでの戦争犯罪を裁いているハーグ法廷のような形のものを、考えてみるべきではないだろうか。
即ち、国連を中核とするルール作りである。もちろん難産は予想されるし、ただでさえ国連は形式に陥っているとの批判もある。だが例え形式でも、それに法った努力を継続することで、最低限度の信頼の助成には繋がるのではないか。少なくとも、一国の国策や利害が絡んだ単なる報復行動よりも、説得力はあろう。
第二に、これは緊急の課題と思うが、中東和平の再度の推進に努力すべきだ。今回の事件が直接、パレスチナ紛争に繋がっている証拠はないが、テロ組織の行動理念として利用されている面は否めない。又、実際にかの地で悲劇が連続している以上、テロリズムの土壌となっているのは無視できまい。
現在、アメリカの中東紛争に対する姿勢は、あまりにイスラエル寄りだ。政権が変わっただけで、和平に対する態度が180度変化してしまった(クリントン政権も公平だったとは言えなかったが)。この点がまず、アラブ諸国の人々に失望感と苛立ちを募らせている面は否定できないだろう。
報道によればイスラエルは、今回のテロ発生直後、これを名目としてパレスチナ人居住区に軍を侵攻させたとの事である。確かにパレスチナ一部過激派の、同国でのテロ行為は許されるものではないが、それを生んだ責任の一端がイスラエル側にもある以上、このような便乗的武力行使は認めるべきではない。
アメリカ国内に協力なユダヤ人ロビイスト勢力が存在し、政策の決定に大きな影響力を持っているのは事実だし、ブッシュ政権がそれを無視し得ないのも無理からぬ事とは思う。しかし、真に自国の国民の安全と、世界の安定への責任を感じるならば、偏った外交姿勢は改めるべきではないのか。
アラブの人々全てが、戦争を望んでいるわけではない。宗教等の違いはあれ、大部分は我々と同じように日常を努力する人々なのだ。そして一方で無法な行いや理不尽な振る舞いを加えられれば、憤激し憎しみを抱く点も同様なのである。
大切なのは、確かに規模の違い等はあるが、今回の悲劇は相手側にとっても、日常として存在しているという事実に目を向けることだ。アメリカの悲劇のみが特別ではない、という認識である。
この点に立脚しない限りアメリカの行動は、テロの沈静ではなく、逆にテロの拡大に繋がる。その時は、最早国と国の対決ではなく、民衆と民衆の対決という、後先ない血みどろの悪夢と成りかねない。
ブッシュ氏には果たして、その恐怖が見えているのだろうか?現状ではそうは思えない。ならば今こそ同盟諸国が、歯止めとなるべきではないのか。同盟国としてなすべき責任は、武力行使への協力のみではないはずだ。
ここに述べた意見は、理想論に陥っている部分もあろう。しかし理想を追求する姿勢をなくせば、人間の行動には際限がなくなってしまう。
歴史とは人間の血と涙と、汚物と嘆きで綴られた墓標だ。単なる運命論や名文に、利用してはならない。新たなる何かを生み出す資料としなければ、ただの呪いとなってしまう。現実という概念に我々は、逃避してはならないのではないか。
アメリカ及び各国の冷静な態度を望む。そしてテロに傾く人々も、その行動が結局は一部の利益追求者に利用されるのみであるという実態に、目を向けることを望む。
第一に裁判にかけるのは得策でないという意見もあったが、主犯となったグループはやはり法にのっとった裁きは受けさせるべきではないだろうか。確かに世界中価値観の相違はあり、国と国の間では奇麗事で済まぬものはあるが、ルール作りは必要だ。
それは至極簡単なもので良いと思う。少なくとも一般市民を巻き込む、無差別攻撃は厳に罰するという姿勢だ。特例は認める必要はない。テロにも、国家としての行動にもだ。各国が法治国家を名乗る以上、法にてらした解決手段には最大限、努力を払うべきだ。
この場合、今回の件に関しては時間的余裕から見て不可能かもしれないが、一国の法で裁くのではなく、例えばユーゴでの戦争犯罪を裁いているハーグ法廷のような形のものを、考えてみるべきではないだろうか。
即ち、国連を中核とするルール作りである。もちろん難産は予想されるし、ただでさえ国連は形式に陥っているとの批判もある。だが例え形式でも、それに法った努力を継続することで、最低限度の信頼の助成には繋がるのではないか。少なくとも、一国の国策や利害が絡んだ単なる報復行動よりも、説得力はあろう。
第二に、これは緊急の課題と思うが、中東和平の再度の推進に努力すべきだ。今回の事件が直接、パレスチナ紛争に繋がっている証拠はないが、テロ組織の行動理念として利用されている面は否めない。又、実際にかの地で悲劇が連続している以上、テロリズムの土壌となっているのは無視できまい。
現在、アメリカの中東紛争に対する姿勢は、あまりにイスラエル寄りだ。政権が変わっただけで、和平に対する態度が180度変化してしまった(クリントン政権も公平だったとは言えなかったが)。この点がまず、アラブ諸国の人々に失望感と苛立ちを募らせている面は否定できないだろう。
報道によればイスラエルは、今回のテロ発生直後、これを名目としてパレスチナ人居住区に軍を侵攻させたとの事である。確かにパレスチナ一部過激派の、同国でのテロ行為は許されるものではないが、それを生んだ責任の一端がイスラエル側にもある以上、このような便乗的武力行使は認めるべきではない。
アメリカ国内に協力なユダヤ人ロビイスト勢力が存在し、政策の決定に大きな影響力を持っているのは事実だし、ブッシュ政権がそれを無視し得ないのも無理からぬ事とは思う。しかし、真に自国の国民の安全と、世界の安定への責任を感じるならば、偏った外交姿勢は改めるべきではないのか。
アラブの人々全てが、戦争を望んでいるわけではない。宗教等の違いはあれ、大部分は我々と同じように日常を努力する人々なのだ。そして一方で無法な行いや理不尽な振る舞いを加えられれば、憤激し憎しみを抱く点も同様なのである。
大切なのは、確かに規模の違い等はあるが、今回の悲劇は相手側にとっても、日常として存在しているという事実に目を向けることだ。アメリカの悲劇のみが特別ではない、という認識である。
この点に立脚しない限りアメリカの行動は、テロの沈静ではなく、逆にテロの拡大に繋がる。その時は、最早国と国の対決ではなく、民衆と民衆の対決という、後先ない血みどろの悪夢と成りかねない。
ブッシュ氏には果たして、その恐怖が見えているのだろうか?現状ではそうは思えない。ならば今こそ同盟諸国が、歯止めとなるべきではないのか。同盟国としてなすべき責任は、武力行使への協力のみではないはずだ。
ここに述べた意見は、理想論に陥っている部分もあろう。しかし理想を追求する姿勢をなくせば、人間の行動には際限がなくなってしまう。
歴史とは人間の血と涙と、汚物と嘆きで綴られた墓標だ。単なる運命論や名文に、利用してはならない。新たなる何かを生み出す資料としなければ、ただの呪いとなってしまう。現実という概念に我々は、逃避してはならないのではないか。
アメリカ及び各国の冷静な態度を望む。そしてテロに傾く人々も、その行動が結局は一部の利益追求者に利用されるのみであるという実態に、目を向けることを望む。
これは メッセージ 22456 (nakahiro02010307 さん)への返信です.
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