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パレスチナ 石握り締めた少年

投稿者: yoursong319 投稿日時: 2007/07/15 22:20 投稿番号: [176770 / 177456]
いまビオラで希望奏でる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070715-00000018-maip-int

1987年に始まったパレスチナの民衆蜂起(第1次インティファーダ)当時、
反イスラエル抵抗闘争を鼓舞した一枚のポスターがある。悲しみに満ちた目で、
両手に石を握り締めたパレスチナ人の少年が、イスラエル兵に向かっていく瞬間を撮影したものだ。
少年は今、プロのビオラ奏者に成長し、パレスチナ自治区で音楽活動を続けている。
イスラエルの分離壁に囲まれ、占領下で抑圧された子供たちに必要なもの−−。
「それは銃ではない」。音楽を通じて生きる希望を与えたいと奮闘している。【ラマラ(ヨルダン川西岸)で前田英司、写真も】
87年12月。イスラエル占領下のヨルダン川西岸とガザ地区にインティファーダの
嵐が吹き荒れ始めた直後のことだ。当時8歳だったラムジィ・アブレドワンさん(28)は、
西岸ラマラのアル・アマリ難民キャンプの自宅に向かって友人と歩いていた。
キャンプの入り口に差し掛かった時だった。突然、イスラエル兵が発砲した。
飛び散る鮮血。友人が崩れ落ちた。死んでいた。とっさに石をつかんだ。
「この日から毎日、イスラエル軍や(占領地の)ユダヤ人入植者に投石して暮らした」
アブレドワンさん一家は現在のイスラエル中部ラムラ近郊の出身。
48年の第1次中東戦争で村を追われ、難民キャンプに移った。両親は離婚し、
祖父母に育てられた。毎朝、町に出かけて新聞を売り、生活費を稼ぐ子供時代だった。
16歳の時、石を握ったあのポスターを通じて知り合った友人から、ラマラを訪れていた
ヨルダン在住のパレスチナ人音楽家を紹介された。初めて楽器に触れた。ビオラだった。
「音楽をやるなんて夢のまた夢だった」。18歳で奨学金を勝ち取り、仏アンジェに音楽留学。
今や欧州をツアーする一流奏者の仲間入りを果たすまでに成長した。
父親は90年にイスラエル軍に殺害された。03年には弟も殺された。自身にも投獄歴がある。
「こんな環境では爆弾を作り、自爆しようと考えても不思議はない。
音楽と出合わなければ僕も今ごろ本物の『戦士』になっていたかもしれない」
02年にラマラに戻った時に見た子供たちの絵が忘れられない。戦車に銃、殉教者……。
被写体は「普通でないもの」ばかりだった。しかし、そんな子供たちを前に演奏を披露すると、
その後の絵には楽器が登場した。「自分が得たチャンスを他の子供にも与えたい」。
以来毎年、欧州の音楽仲間をボランティアで集め、自治区各地をコンサートをして回っている。
ラマラ旧市街で05年、活動母体の「アル・カマンジャーティ協会」を開設した。
アラビア語で「バイオリン奏者」の意味だ。現在、4〜15歳の約350人が弦楽器などのレッスンを受けている。
アブレドワンさんは仏国籍を取得し、ラマラと仏アンジェを行き来する。
「パレスチナの状況はイスラエル占領下にある限り、何も変わらない。
せめて『壁の外』の子供たちと同じように、パレスチナの子供にも夢を抱かせてあげたい」。
将来は日本で活動への賛同を求めたいという。
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