「戦後」60年_13
投稿者: pyu_pyu_kitakaze 投稿日時: 2005/08/11 04:31 投稿番号: [173765 / 177456]
一番恐ろしいのは機銃掃射!
http://www5a.biglobe.ne.jp/~othibo/osorosii.html
(「6.東京大空襲の夜」から抜き書き)
〜走り始めてすぐ、焼けた我家から200メートルほど離れている常磐線のガードをくぐった時でした。いつもだったら見えるはずのない浅草の松屋デパートが、まず眼に飛込んできたのにはびっくりしました。屋上に近い階から白煙が上がり、見渡すかぎりの焼野原のかなたに松屋だけがぽつんと立っている異様な光景は、カメラのシャッターを切ったままのように今でも鮮明に脳裏に焼付いています。
焼野原が続く三ノ輪から浅草に通じている道路まで来たとき、道路添いに大きな伽藍が一つだけ焼け残っていたのが印象的でした。あとで西徳寺という寺だと知ったのですが、見れば勾配の強い屋根の真中に焼夷弾の突きぬけた小さな穴がぽつんとあいています。そしてすぐ前の道路には路面電車の焼けた残骸があるというのに、あの強い風の中でよく類焼しなかったものだと思いました。焼夷弾の落ちる時間の差とか、風向きとか、消火活動が良かったとか、さまざまな条件が重なって焼けなかったのだろうとAさんと話したのを覚えています。
浅草雷門のあたりから、あちこちに人の焼けた死体が目につくようになりました。まるでマネキン人形のような丸くて真黒な坊主頭が、手足を薪のようにこわばらせて道路際に無造作に転がっています。男女の性別はまったく分りません。防火用の水槽の中にしゃがんだような格好で座った人の上半身は焼け焦げているのに、下半身に衣服がまだ残っているのを見たとき、あまりの無惨さに二度と眼を向けることができませんでした。無惨というより頭の中が真白になった感じです。戦争の恐ろしさは当然のことながら、そのときの私は人間のはかなさに心を奪われていたような気がします。吾妻橋の下の隅田川には溺れて亡くなった人がまだ幾体も残っていました。蛙のように膨らんだ腹に大切なものを巻きつけたもんぺ姿の女性が仰向けになって、焼けた木材などと一緒に漂っています。それでも昨日はトラック何台もの水死体が収容されたということでした。
押上駅に向っても同様な情景がえんえんと続いていました。工場は完全に焼け落ちていました。一昨夜どのあたりで仕事をしていたのかまったく見当もつきません。傍らの北十間川では、数人の人が長い竹竿の先につけた鳶口で水死した人を引揚げているところでした。それを見たとき、もし工場を逃出すのがもう少し遅れていたら、炎の熱さに耐えきれず私たちも隣の川に飛込んでいたかもしれないと思うとぞっとしました。そして消防手たちがホースを巻き始めるのにもし気がつかなかったら・・・、工場を脱出する前にもし吾嬬町一帯に先に焼夷弾が落ちていたら・・・と考えてくると、人の生死を分けるきっかけはどこにあるのかまったくわからないと思いました。
3月9日から10日未明にかけての空襲で、約8万人の方が亡くなり、東京の下町の大部分が焦土と化しました。そして東京の焼け残った町や、主要な地方都市にたいする空襲も4月になるとますます激しさを増してきたのです。
ある男の自分史
http://www5a.biglobe.ne.jp/~othibo/
___________________
ここ↓には大空襲の写真がたくさんある。
東京大空襲_ 昭和20年3月10日 史上最大の虐殺
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~othibo/osorosii.html
(「6.東京大空襲の夜」から抜き書き)
〜走り始めてすぐ、焼けた我家から200メートルほど離れている常磐線のガードをくぐった時でした。いつもだったら見えるはずのない浅草の松屋デパートが、まず眼に飛込んできたのにはびっくりしました。屋上に近い階から白煙が上がり、見渡すかぎりの焼野原のかなたに松屋だけがぽつんと立っている異様な光景は、カメラのシャッターを切ったままのように今でも鮮明に脳裏に焼付いています。
焼野原が続く三ノ輪から浅草に通じている道路まで来たとき、道路添いに大きな伽藍が一つだけ焼け残っていたのが印象的でした。あとで西徳寺という寺だと知ったのですが、見れば勾配の強い屋根の真中に焼夷弾の突きぬけた小さな穴がぽつんとあいています。そしてすぐ前の道路には路面電車の焼けた残骸があるというのに、あの強い風の中でよく類焼しなかったものだと思いました。焼夷弾の落ちる時間の差とか、風向きとか、消火活動が良かったとか、さまざまな条件が重なって焼けなかったのだろうとAさんと話したのを覚えています。
浅草雷門のあたりから、あちこちに人の焼けた死体が目につくようになりました。まるでマネキン人形のような丸くて真黒な坊主頭が、手足を薪のようにこわばらせて道路際に無造作に転がっています。男女の性別はまったく分りません。防火用の水槽の中にしゃがんだような格好で座った人の上半身は焼け焦げているのに、下半身に衣服がまだ残っているのを見たとき、あまりの無惨さに二度と眼を向けることができませんでした。無惨というより頭の中が真白になった感じです。戦争の恐ろしさは当然のことながら、そのときの私は人間のはかなさに心を奪われていたような気がします。吾妻橋の下の隅田川には溺れて亡くなった人がまだ幾体も残っていました。蛙のように膨らんだ腹に大切なものを巻きつけたもんぺ姿の女性が仰向けになって、焼けた木材などと一緒に漂っています。それでも昨日はトラック何台もの水死体が収容されたということでした。
押上駅に向っても同様な情景がえんえんと続いていました。工場は完全に焼け落ちていました。一昨夜どのあたりで仕事をしていたのかまったく見当もつきません。傍らの北十間川では、数人の人が長い竹竿の先につけた鳶口で水死した人を引揚げているところでした。それを見たとき、もし工場を逃出すのがもう少し遅れていたら、炎の熱さに耐えきれず私たちも隣の川に飛込んでいたかもしれないと思うとぞっとしました。そして消防手たちがホースを巻き始めるのにもし気がつかなかったら・・・、工場を脱出する前にもし吾嬬町一帯に先に焼夷弾が落ちていたら・・・と考えてくると、人の生死を分けるきっかけはどこにあるのかまったくわからないと思いました。
3月9日から10日未明にかけての空襲で、約8万人の方が亡くなり、東京の下町の大部分が焦土と化しました。そして東京の焼け残った町や、主要な地方都市にたいする空襲も4月になるとますます激しさを増してきたのです。
ある男の自分史
http://www5a.biglobe.ne.jp/~othibo/
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ここ↓には大空襲の写真がたくさんある。
東京大空襲_ 昭和20年3月10日 史上最大の虐殺
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これは メッセージ 173747 (pyu_pyu_kitakaze さん)への返信です.
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