日本を軍国主義へ導く「普通の国」論
投稿者: pyu_pyu_kitakaze 投稿日時: 2005/05/25 18:55 投稿番号: [173420 / 177456]
(抜き書き)
〜イラク戦争が大義のための戦争であり、日本も誇りをもって参戦できるというならまだしも、アメリカが開戦前にならべていた大義(フセインが核兵器ないし、生物化学兵器などの大量破壊兵器を持っていることは確実だから、それを使う前に先制攻撃によってつぶしてしまう必要がある)は、まるで根拠がないものだったことが次々にあばかれ、グローバルにはもちろん、アメリカ国内においてすら、イラク戦争に大義なし(世論調査によると、「戦うだけの価値がなかった」)と考える人が多数を占めつつあるのである。
第9条があっても、それを極限までねじまげ、ここまでアメリカにコミットした小泉首相は、完全に国を誤ったというべきだろう。第9条がなかったら、小泉首相はどこまでアメリカに肩入れし、どれだけ日本人の血を流していただろうか。想像するだに恐ろしいものがある。
私は憲法第9条は、この60年間(正確にいうと、60年にちょっと欠けるが)の日本の最大の国益の守り手であったと思っている。
憲法第9条のおかげで日本が得たものは沢山あるが、なかんずく、この60年間、日本が戦争によって、同胞の血を一適も流さないですんできたことが何よりも誇らしいことだと思う。
このようなことは、日本の近代史においていまだかつてなかったことである。1945年以前は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、山東出兵、満州事変、日中戦争と、日本は戦争をやりつづけてきた。そして、世界でも有数の好戦国家と思われてきた。
日本はこの60年間、同胞の血を流さなかっただけでなく、日本国の名において他国の国民を一人も殺さないできた。世界の主要国で、そのような実績(誰も殺さず誰も殺されない不戦国家でありつづけたこと)を残すことができた国は、日本の他にはない。憲法第9条があったがゆえに、日本は名実ともに平和国家の名にふさわしい実績を持つ国になりえたのである。
私は、「普通の国」になるために憲法第9条の改正を主張する人々には、断固として与しない。
日本は憲法第9条を持ったときから、「普通の国」とはちがう生き方を選択したのである。「普通の国」ではない生き方のほうが、「平和を維持しようと努めている国際社会において、名誉ある地位」(憲法前文)をしめることになると考え、そのような生き方を、「国家の名誉にかけ、全力をあげて」(同前)守ることを誓ったのである。
そこにこそ、日本という国家の誇りがある。日本という国家のアイデンティティがある。その第9条を敝履(へいり)のごとく捨てて「普通の国家」に戻ることには日本国にとって何のメリットもない。
〜一口にいうなら、憲法第9条は、日本の国益を守る最大の壁であり、柱だった。冷戦時代、日本の国益は、アメリカに身を寄せて、アメリカから最大限の保護(軍事的、経済的)を引き出しながら、アメリカに対する貢献(軍事的、経済的)は最小限にとどめることにあった。それを可能にしたのが、憲法第9条だった。日本がこの防護壁のかげに身を隠すと、アメリカは、それ以上日本に迫れなかった。その防護壁はアメリカが作り、日本に押しつけたものだったからだ。
いわば、アメリカは日本に戦争に勝ったのに、外交のテーブルでまんまと一杯食わされたのである。日本はアメリカを「お番犬さま」(椎名外務大臣の名言)に仕立てあげ、ありがたがって見せつつ、最大限の利益を引きだしつづけたのである。
第17回 日本を軍国主義へ導く「普通の国」論の危険性
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050517_futunokuni/
___________________
・・・齊藤力二朗氏のアラブの声MLのリンクより。
〜イラク戦争が大義のための戦争であり、日本も誇りをもって参戦できるというならまだしも、アメリカが開戦前にならべていた大義(フセインが核兵器ないし、生物化学兵器などの大量破壊兵器を持っていることは確実だから、それを使う前に先制攻撃によってつぶしてしまう必要がある)は、まるで根拠がないものだったことが次々にあばかれ、グローバルにはもちろん、アメリカ国内においてすら、イラク戦争に大義なし(世論調査によると、「戦うだけの価値がなかった」)と考える人が多数を占めつつあるのである。
第9条があっても、それを極限までねじまげ、ここまでアメリカにコミットした小泉首相は、完全に国を誤ったというべきだろう。第9条がなかったら、小泉首相はどこまでアメリカに肩入れし、どれだけ日本人の血を流していただろうか。想像するだに恐ろしいものがある。
私は憲法第9条は、この60年間(正確にいうと、60年にちょっと欠けるが)の日本の最大の国益の守り手であったと思っている。
憲法第9条のおかげで日本が得たものは沢山あるが、なかんずく、この60年間、日本が戦争によって、同胞の血を一適も流さないですんできたことが何よりも誇らしいことだと思う。
このようなことは、日本の近代史においていまだかつてなかったことである。1945年以前は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、山東出兵、満州事変、日中戦争と、日本は戦争をやりつづけてきた。そして、世界でも有数の好戦国家と思われてきた。
日本はこの60年間、同胞の血を流さなかっただけでなく、日本国の名において他国の国民を一人も殺さないできた。世界の主要国で、そのような実績(誰も殺さず誰も殺されない不戦国家でありつづけたこと)を残すことができた国は、日本の他にはない。憲法第9条があったがゆえに、日本は名実ともに平和国家の名にふさわしい実績を持つ国になりえたのである。
私は、「普通の国」になるために憲法第9条の改正を主張する人々には、断固として与しない。
日本は憲法第9条を持ったときから、「普通の国」とはちがう生き方を選択したのである。「普通の国」ではない生き方のほうが、「平和を維持しようと努めている国際社会において、名誉ある地位」(憲法前文)をしめることになると考え、そのような生き方を、「国家の名誉にかけ、全力をあげて」(同前)守ることを誓ったのである。
そこにこそ、日本という国家の誇りがある。日本という国家のアイデンティティがある。その第9条を敝履(へいり)のごとく捨てて「普通の国家」に戻ることには日本国にとって何のメリットもない。
〜一口にいうなら、憲法第9条は、日本の国益を守る最大の壁であり、柱だった。冷戦時代、日本の国益は、アメリカに身を寄せて、アメリカから最大限の保護(軍事的、経済的)を引き出しながら、アメリカに対する貢献(軍事的、経済的)は最小限にとどめることにあった。それを可能にしたのが、憲法第9条だった。日本がこの防護壁のかげに身を隠すと、アメリカは、それ以上日本に迫れなかった。その防護壁はアメリカが作り、日本に押しつけたものだったからだ。
いわば、アメリカは日本に戦争に勝ったのに、外交のテーブルでまんまと一杯食わされたのである。日本はアメリカを「お番犬さま」(椎名外務大臣の名言)に仕立てあげ、ありがたがって見せつつ、最大限の利益を引きだしつづけたのである。
第17回 日本を軍国主義へ導く「普通の国」論の危険性
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050517_futunokuni/
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・・・齊藤力二朗氏のアラブの声MLのリンクより。
これは メッセージ 173419 (pyu_pyu_kitakaze さん)への返信です.
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