太田昌国氏の論
投稿者: pyu_pyu_kitakaze 投稿日時: 2005/04/18 22:09 投稿番号: [173277 / 177456]
バンドン会議から50年後の中国「反日デモ」に思う
「派兵チェック」第151号(2005年4月15日発行)掲載
太田昌国
(抜き書き)
〜 中国におけるこの間の事態に関して、日本社会に生きる私たちが、まず自分たちの足下の問題として受け止めることは、もちろん、必須のことだ。敗戦後60 年を迎える今年、この社会が、いまなお侵略戦争と敗戦に関わる未解決の諸問題を、アジア近隣諸国との関係において抱えていることは否定すべくもない。
敗戦後の歴代政府が米国の外交政策への追随に終始し、植民地主義と侵略戦争に関わる責任を真にとる、独自のアジア外交を展開してこなかったことのツケが、ここまで膨らんでしまっていることに、私はいまさらのように呆然となる。
支配層が目論んでいる現行憲法9条の改変は、アジア諸国民衆との関係をさらに悪化させるだろう。60年前の諸問題が未解決のまま、私たちは新たな、解決困難な課題を抱え込むことになるだろう。
そのことを確認したうえで、したがって、この現状を変革する責任が私たちにはあることを自覚したうえで、ここでは手短に以下のことに触れておきたい。
日本社会にみなぎる排外主義的ナショナリズムは、表面的には対立しつつ、しかし最終的には補完し合える格好の相手を、中国に突出しつつある反日ナショナリズムに見出すことができる。
〜50年前のバンドン会議のときには、抗日戦争を基盤として革命に勝利して6年目の中国も含めて、第三世界諸国のナショナリズムが植民地支配を打ち砕き、大国の世界支配を打破してゆく可能性に望みを託すことが、まだしも許されたかもしれない。
その後に続いた戦後史は、どんな革命国家であれ、いかなる社会主義国家であれ、任意の第三世界の国家であれ、必要な場合には必ず顕わにする国家としての本質を免れ得ないことを示してきた。
中国、北朝鮮、韓国、ロシア――日本国家が無策のままにここまでこじらせてきてしまった周辺諸国との関係を、私たち民衆レベルで打開してゆくには、排外主義的ナショナリズムにわが身を託さない道を、相互に見つけなければならない。
それを、ひとり日本社会の課題だと捉えて、対話可能な相手との討論の道を自ら閉ざすべきではないと思う。
現代企画室 状況20〜21
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/index.html
___________________
・・・最後の一行だけがよく判らない。
「ひとり日本社会の課題だと捉えて」いるのは誰?
かの人々でもあり,同時に私たちでもあるというふうに読んだんだが・・・,
そう考えることがなぜ「対話可能な相手との討論の道を自ら閉ざす」ことになるのだろう?
誰か解説してくんないかな?
「派兵チェック」第151号(2005年4月15日発行)掲載
太田昌国
(抜き書き)
〜 中国におけるこの間の事態に関して、日本社会に生きる私たちが、まず自分たちの足下の問題として受け止めることは、もちろん、必須のことだ。敗戦後60 年を迎える今年、この社会が、いまなお侵略戦争と敗戦に関わる未解決の諸問題を、アジア近隣諸国との関係において抱えていることは否定すべくもない。
敗戦後の歴代政府が米国の外交政策への追随に終始し、植民地主義と侵略戦争に関わる責任を真にとる、独自のアジア外交を展開してこなかったことのツケが、ここまで膨らんでしまっていることに、私はいまさらのように呆然となる。
支配層が目論んでいる現行憲法9条の改変は、アジア諸国民衆との関係をさらに悪化させるだろう。60年前の諸問題が未解決のまま、私たちは新たな、解決困難な課題を抱え込むことになるだろう。
そのことを確認したうえで、したがって、この現状を変革する責任が私たちにはあることを自覚したうえで、ここでは手短に以下のことに触れておきたい。
日本社会にみなぎる排外主義的ナショナリズムは、表面的には対立しつつ、しかし最終的には補完し合える格好の相手を、中国に突出しつつある反日ナショナリズムに見出すことができる。
〜50年前のバンドン会議のときには、抗日戦争を基盤として革命に勝利して6年目の中国も含めて、第三世界諸国のナショナリズムが植民地支配を打ち砕き、大国の世界支配を打破してゆく可能性に望みを託すことが、まだしも許されたかもしれない。
その後に続いた戦後史は、どんな革命国家であれ、いかなる社会主義国家であれ、任意の第三世界の国家であれ、必要な場合には必ず顕わにする国家としての本質を免れ得ないことを示してきた。
中国、北朝鮮、韓国、ロシア――日本国家が無策のままにここまでこじらせてきてしまった周辺諸国との関係を、私たち民衆レベルで打開してゆくには、排外主義的ナショナリズムにわが身を託さない道を、相互に見つけなければならない。
それを、ひとり日本社会の課題だと捉えて、対話可能な相手との討論の道を自ら閉ざすべきではないと思う。
現代企画室 状況20〜21
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/index.html
___________________
・・・最後の一行だけがよく判らない。
「ひとり日本社会の課題だと捉えて」いるのは誰?
かの人々でもあり,同時に私たちでもあるというふうに読んだんだが・・・,
そう考えることがなぜ「対話可能な相手との討論の道を自ら閉ざす」ことになるのだろう?
誰か解説してくんないかな?
これは メッセージ 173276 (pyu_pyu_kitakaze さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/173277.html