再掲:何でも“派閥”化に異を唱えるVII
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2004/03/04 12:27 投稿番号: [164392 / 177456]
再掲:何でも“派閥”化に異を唱えるVII
タイトル RE:単純化反対(下)>ゆあそん氏、ラヴ
投稿者 etranger3_01 (29歳/男性/TOKYO)
日付 2002/ 6/11 11:03
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=bpjfa4lla5fa5m&sid=1143582&mid=143511
必要なのは個人個人が、まず「基本的」なスタンスを3通りの中から選び、その中でのさらに細分化された自分なりのスタンスをハッキリと述べることだと思います。「それが私の意見だから」ではそこまで行き着いた思考プロセスとそのロジックが理解できないからです。それでは、せっかくの「意見」も伝わらない。意見は発信してこそ価値があるのだと思います。自分の中でだけわかっていても仕方がない。そして、それを言葉で伝えようとするのがもどかしいからといって、それを放棄するのであれば、それは自分が誤解されてもやむなしということ。そこにも自己責任が生じます。それは言葉を発する者の責任ということ。そこで、自分だけに対しては理解を求めるのは傲慢でしょう。そして、そこまで言わないと、結局は憶測で各自の都合のいい解釈をされてしまい、いつのまに「〜派」という枠組みに自分が圧しはめられてしまう。それでは納得がいかない。だがとどのつまりは意見発信を的確に行っていない自分に責任があるのです。
ちなみに私は、「国際テロは基本的に反対だが民族自決権の行使による国内の抵抗運動のためのテロはやむなしとし、また国際テロに対してはその原因の究明と対策に取り組みつつ、実行犯らは国際法に基づいて犯罪者として処罰し、そのための限定的な軍事力の行使はやむなしとする」派です。そりゃ、これを一言でいうのは難しいですよねえ。どうしたって前置きは「私は基本的にはテロに反対しますが、」になっちゃいますよね。それだけで、いわゆる「テロ擁護派」には「じゃあ空爆賛成なんですね」、「テロが起きた背景をご存知ないのですか」、「貴方はアメリカの手先ですか」などと言われてしまうわけですね。単純化もはなはだしい。私はこれは1つの人格無視だと思いますけどね。多様性の無視・拒絶は一個の人格の無視・拒絶だと思います。
だから、
>すぐに人を「テロ擁護派」「親米派」だの「米追従派」だの「空爆賛成派」と二分化し片一方の人たちを一くくりにして語ることにこの掲示板へ参加した当初からずっと疑問を持っています。(lovepeacemama氏)
は、私もずっと疑問に思ってきたことなんです。でも、問題はそんなに単純じゃない(笑)からずっといいあぐねていました。ただ、やっと見えてきたものがあったので、意見提示してみました。
意見の3分化に拠らない互いの様々な立場を考慮した高度な議論ができるかどうか。これは、情報化の波の中で個人に課せられた新たな責任なのかもしれませんね。社会が変わるとき、個人もまた変わるべきなんでしょう。
以上、個人に対するレスとしては(むろん、おわかりのようにゆあそん氏やラヴ個人のみを対象としていませんが)はなはだ長文となってしまいましたが、ここのところ自分の中にあった考えを一気に出させてもらいました。
自分の本当の(伝えたい)スタンスについて、もう一度考える一助にでもなれば幸いです。
タイトル RE:単純化反対(下)>ゆあそん氏、ラヴ
投稿者 etranger3_01 (29歳/男性/TOKYO)
日付 2002/ 6/11 11:03
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=bpjfa4lla5fa5m&sid=1143582&mid=143511
必要なのは個人個人が、まず「基本的」なスタンスを3通りの中から選び、その中でのさらに細分化された自分なりのスタンスをハッキリと述べることだと思います。「それが私の意見だから」ではそこまで行き着いた思考プロセスとそのロジックが理解できないからです。それでは、せっかくの「意見」も伝わらない。意見は発信してこそ価値があるのだと思います。自分の中でだけわかっていても仕方がない。そして、それを言葉で伝えようとするのがもどかしいからといって、それを放棄するのであれば、それは自分が誤解されてもやむなしということ。そこにも自己責任が生じます。それは言葉を発する者の責任ということ。そこで、自分だけに対しては理解を求めるのは傲慢でしょう。そして、そこまで言わないと、結局は憶測で各自の都合のいい解釈をされてしまい、いつのまに「〜派」という枠組みに自分が圧しはめられてしまう。それでは納得がいかない。だがとどのつまりは意見発信を的確に行っていない自分に責任があるのです。
ちなみに私は、「国際テロは基本的に反対だが民族自決権の行使による国内の抵抗運動のためのテロはやむなしとし、また国際テロに対してはその原因の究明と対策に取り組みつつ、実行犯らは国際法に基づいて犯罪者として処罰し、そのための限定的な軍事力の行使はやむなしとする」派です。そりゃ、これを一言でいうのは難しいですよねえ。どうしたって前置きは「私は基本的にはテロに反対しますが、」になっちゃいますよね。それだけで、いわゆる「テロ擁護派」には「じゃあ空爆賛成なんですね」、「テロが起きた背景をご存知ないのですか」、「貴方はアメリカの手先ですか」などと言われてしまうわけですね。単純化もはなはだしい。私はこれは1つの人格無視だと思いますけどね。多様性の無視・拒絶は一個の人格の無視・拒絶だと思います。
だから、
>すぐに人を「テロ擁護派」「親米派」だの「米追従派」だの「空爆賛成派」と二分化し片一方の人たちを一くくりにして語ることにこの掲示板へ参加した当初からずっと疑問を持っています。(lovepeacemama氏)
は、私もずっと疑問に思ってきたことなんです。でも、問題はそんなに単純じゃない(笑)からずっといいあぐねていました。ただ、やっと見えてきたものがあったので、意見提示してみました。
意見の3分化に拠らない互いの様々な立場を考慮した高度な議論ができるかどうか。これは、情報化の波の中で個人に課せられた新たな責任なのかもしれませんね。社会が変わるとき、個人もまた変わるべきなんでしょう。
以上、個人に対するレスとしては(むろん、おわかりのようにゆあそん氏やラヴ個人のみを対象としていませんが)はなはだ長文となってしまいましたが、ここのところ自分の中にあった考えを一気に出させてもらいました。
自分の本当の(伝えたい)スタンスについて、もう一度考える一助にでもなれば幸いです。
これは メッセージ 164384 (etranger3_01 さん)への返信です.
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