東ティモール派遣と類似・・・
投稿者: yumeneko2000 投稿日時: 2003/12/11 00:01 投稿番号: [161373 / 177456]
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
1975年12月7日、スハルト独裁下でインドネシアは、東ティモール(ポルトガル領ティモール)に全面侵攻しました。その後24年にわたる不法占領で殺されたり強制収容キャンプで餓死した人々は20万人。当時の人口の3分の1にのぼります。
インドネシアが進めた「対テロ戦争」ならぬテロ戦争に武器と軍事訓練を与え続けてきたのは、米国でした。1991年米国市民の圧力で議会が軍事援助を禁止すると、それからは英国が大規模に武器を提供しました。日本は、この間、国連をはじめとする様々な外交の場でインドネシアのテロ戦争を支援し、インドネシア最大の援助国であり続けました。
100万人近い人々を虐殺して政権を握った独裁者スハルト。西洋諸国はこの虐殺の後、インドネシアの諸資源を分割する会議を開催し、スハルト専制のもとでの資源掠奪の構図が確立しました[直接関係ありませんが、最近出版されたナオミ・クライン著『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』(はまの出版・松島聖子訳・1600円はお奨めです]。このスハルト大統領が1998年に民主化運動の高まりの中で退陣した際、日本の橋本龍太郎は、スハルトについて、「偉大な業績に感慨を覚える」と言いました。私たちは、それを忘れてはいません。
1999年、インドネシア軍と民兵が破壊と殺戮を進める中、日本政府は侵略者であり虐殺の実行者である「インドネシアに重ねて治安をお願いする」と繰り返し、同時に、米国やオーストラリアがインドネシアとの軍事協力関係を絶つと言った最後の最後まで、「インドネシアへの援助は継続する」と伝えました。殺戮の全面的な支援表明。
ところが、市民の活動で政権交代の瀬戸際にまで立たされたオーストラリアや米国の圧力で、東ティモールで最後の破壊と殺戮を終えたインドネシア軍が撤退することと入れ替えにオーストラリア軍が東ティモールに派遣され、それが国連PKFに取って代わると、日本は、東ティモールに財政援助を使って、「復興支援」のために自衛隊派遣をごり押ししました。
一方で破壊に荷担・黙認しながら、それを「復興する」とゴリ押しして軍隊を派遣した東ティモールへの自衛隊派遣は、今回のイラク侵略戦争への自衛隊派遣の準備段階でした。当時、自分が東ティモールに派遣されることをめぐり、深く悩んでいた自衛隊員もいました。今、小泉政権は、国際法違反の不法侵略と占領を続け、民間人を殺し続けている米軍に協力して自衛隊を派遣しようとしています。
8日のニュースステーションでは、ジャーナリストの綿井健陽氏が、自衛隊を派遣することによりサマワの状態が悪くなる可能性が大きいと言っていました。そのとき横にいた朝日新聞論説委員は、「民間人を派遣して安全を守れるのか」という非論理的な非−質問を繰り返していました。(中略)
そうした事実的連関に冷静に言及せずに、不法侵略・占領部隊への荷担を前提条件として「民間人を派遣して安全を守れるのか」という非−論理は、文字通り言葉のゴミでしかありません。このような者が、まっとうな人間のような顔をして言葉を話している(気になっている)状況には、捨てぜりふのレトリックではなく、物理的に吐き気を催します。
NHKでは、「サマワでは自衛隊派遣を歓迎」という報道が流れました。これも「日本が来ること」を意図的に自衛隊にすり替えたものです。イラクの多くの人々は、非武装の日本の復興支援が来ることについては拒否していません(歓迎していすようです)が、軍隊は来るな、と明言しています。
少なからぬ日本の報道は、自称「公共放送局」を筆頭に、この国の窓を開けて他の人々の声をできる限り聞き届けなくてはならないときに、かわりに鏡を置いて自らを閉ざすことを選んでいます。幻想の中の存在。「平和ボケ」というのはこのような、戦争と平和、侵略と復興支援の区別もつかない知性状態のことを指すのでしょう。
一方、イラクの民主化指導者アブドルアミール・アル・リカービ氏は、日本は非武装で来るべきだと述べ、また、自衛隊員が正当防衛でイラク人を殺傷する可能性についての質問に、「武装してよその国に来て正当防衛などありえない」と明言していました。他人の家に強盗として入って抵抗され自分が殺されそうになったから相手を武器で殺して「正当防衛」を主張するようなものです。
1975年12月7日、スハルト独裁下でインドネシアは、東ティモール(ポルトガル領ティモール)に全面侵攻しました。その後24年にわたる不法占領で殺されたり強制収容キャンプで餓死した人々は20万人。当時の人口の3分の1にのぼります。
インドネシアが進めた「対テロ戦争」ならぬテロ戦争に武器と軍事訓練を与え続けてきたのは、米国でした。1991年米国市民の圧力で議会が軍事援助を禁止すると、それからは英国が大規模に武器を提供しました。日本は、この間、国連をはじめとする様々な外交の場でインドネシアのテロ戦争を支援し、インドネシア最大の援助国であり続けました。
100万人近い人々を虐殺して政権を握った独裁者スハルト。西洋諸国はこの虐殺の後、インドネシアの諸資源を分割する会議を開催し、スハルト専制のもとでの資源掠奪の構図が確立しました[直接関係ありませんが、最近出版されたナオミ・クライン著『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』(はまの出版・松島聖子訳・1600円はお奨めです]。このスハルト大統領が1998年に民主化運動の高まりの中で退陣した際、日本の橋本龍太郎は、スハルトについて、「偉大な業績に感慨を覚える」と言いました。私たちは、それを忘れてはいません。
1999年、インドネシア軍と民兵が破壊と殺戮を進める中、日本政府は侵略者であり虐殺の実行者である「インドネシアに重ねて治安をお願いする」と繰り返し、同時に、米国やオーストラリアがインドネシアとの軍事協力関係を絶つと言った最後の最後まで、「インドネシアへの援助は継続する」と伝えました。殺戮の全面的な支援表明。
ところが、市民の活動で政権交代の瀬戸際にまで立たされたオーストラリアや米国の圧力で、東ティモールで最後の破壊と殺戮を終えたインドネシア軍が撤退することと入れ替えにオーストラリア軍が東ティモールに派遣され、それが国連PKFに取って代わると、日本は、東ティモールに財政援助を使って、「復興支援」のために自衛隊派遣をごり押ししました。
一方で破壊に荷担・黙認しながら、それを「復興する」とゴリ押しして軍隊を派遣した東ティモールへの自衛隊派遣は、今回のイラク侵略戦争への自衛隊派遣の準備段階でした。当時、自分が東ティモールに派遣されることをめぐり、深く悩んでいた自衛隊員もいました。今、小泉政権は、国際法違反の不法侵略と占領を続け、民間人を殺し続けている米軍に協力して自衛隊を派遣しようとしています。
8日のニュースステーションでは、ジャーナリストの綿井健陽氏が、自衛隊を派遣することによりサマワの状態が悪くなる可能性が大きいと言っていました。そのとき横にいた朝日新聞論説委員は、「民間人を派遣して安全を守れるのか」という非論理的な非−質問を繰り返していました。(中略)
そうした事実的連関に冷静に言及せずに、不法侵略・占領部隊への荷担を前提条件として「民間人を派遣して安全を守れるのか」という非−論理は、文字通り言葉のゴミでしかありません。このような者が、まっとうな人間のような顔をして言葉を話している(気になっている)状況には、捨てぜりふのレトリックではなく、物理的に吐き気を催します。
NHKでは、「サマワでは自衛隊派遣を歓迎」という報道が流れました。これも「日本が来ること」を意図的に自衛隊にすり替えたものです。イラクの多くの人々は、非武装の日本の復興支援が来ることについては拒否していません(歓迎していすようです)が、軍隊は来るな、と明言しています。
少なからぬ日本の報道は、自称「公共放送局」を筆頭に、この国の窓を開けて他の人々の声をできる限り聞き届けなくてはならないときに、かわりに鏡を置いて自らを閉ざすことを選んでいます。幻想の中の存在。「平和ボケ」というのはこのような、戦争と平和、侵略と復興支援の区別もつかない知性状態のことを指すのでしょう。
一方、イラクの民主化指導者アブドルアミール・アル・リカービ氏は、日本は非武装で来るべきだと述べ、また、自衛隊員が正当防衛でイラク人を殺傷する可能性についての質問に、「武装してよその国に来て正当防衛などありえない」と明言していました。他人の家に強盗として入って抵抗され自分が殺されそうになったから相手を武器で殺して「正当防衛」を主張するようなものです。
これは メッセージ 156659 (yumeneko2000 さん)への返信です.
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