われらと、われら
投稿者: katakurichan2 投稿日時: 2003/11/09 13:36 投稿番号: [160565 / 177456]
『人はなぜ「憎む」のか』という本があります。ラッシュ・W・ドージア
Jr.著、桃井緑美子訳、河出書房新社発行(2003年7月)
さわりのところから、一部を紹介します。憎悪とは何か、ということについて、
−−−以下引用
これらの疑問にたいして、私たちは最近ようやく答えられるようになってきた。人類学から動物学まで、科学分野の幅広い研究によって、この破壊的な情動に関する理解が飛躍的に進んだためである。新しい知識のおかげで、私たちの生活が様変わりするばかりでなく、大きくは世界の様相までもが一変するかもしれない。
研究によってわかったのは、憎しみが生じるのは生物が古代からもっている生存の本能に、激しい嫌悪と怒り、ステレオタイプ化、そして「われら対、彼ら」という区別が結びついたときだということだ。意外なことに、憎悪と自己嫌悪(鬱病や自殺として表れる)とでは、それにかかわる脳の領域がちがうらしい。この発見から、憎悪が人間の行動にどのように影響するか、どうすればそれを抑制するできるかについて、基本的な洞察がもたらされた。それは全人類にとってきわめて重大な洞察である。それで次章では、この科学的洞察を利用して憎悪を抑制するための具体的な策を提案しよう。この戦略は日常生活で実行できるだけでなく、憎しみによる国家や民族の対立を社会が解決しようとするときにも利用できる。前提になるのは、他者への寛容の心は教えて初めて身に付くということだ。とくに子供たちには、いろいろなかたちで手本を示してやる必要がある。人間は協議し愛する能力を生まれながらに備えているが、それと同時に偏見を抱いたり人を憎んだりする能力ももっている。後者ではなく前者を大きく育むには、憎悪を抑制するための策として、ものを考えるときの視点を「われら対、彼ら」から「われらと、われら」に変える必要がある。この視点によって。私たちは他集団に属する人びとを同じ人間とみなし、だれにも共通する人間性と一人ひとりの個性とに焦点をあてることができるのである。
−−−
「激しい嫌悪と怒り」だけでは憎悪には至らないし、同じく「ステレオタイプ化」だけでも、憎悪には至らないんですね。
「彼ら」を「われら」に変換することっていうのは、通常の場合、非常に難しい、不愉快な、理解できないような作業に思えるものなんじゃないでしょうか。難しいから、憎悪や対立がなくならない。
でも、「他者への寛容の心は教えなきゃ身に付かない」っていうんですから、大人は自覚しないといけないですね。大変なんですよね、本当に大人になろうと思ったら。私はなりたいです。なるよ、がんばるよ。
さわりのところから、一部を紹介します。憎悪とは何か、ということについて、
−−−以下引用
これらの疑問にたいして、私たちは最近ようやく答えられるようになってきた。人類学から動物学まで、科学分野の幅広い研究によって、この破壊的な情動に関する理解が飛躍的に進んだためである。新しい知識のおかげで、私たちの生活が様変わりするばかりでなく、大きくは世界の様相までもが一変するかもしれない。
研究によってわかったのは、憎しみが生じるのは生物が古代からもっている生存の本能に、激しい嫌悪と怒り、ステレオタイプ化、そして「われら対、彼ら」という区別が結びついたときだということだ。意外なことに、憎悪と自己嫌悪(鬱病や自殺として表れる)とでは、それにかかわる脳の領域がちがうらしい。この発見から、憎悪が人間の行動にどのように影響するか、どうすればそれを抑制するできるかについて、基本的な洞察がもたらされた。それは全人類にとってきわめて重大な洞察である。それで次章では、この科学的洞察を利用して憎悪を抑制するための具体的な策を提案しよう。この戦略は日常生活で実行できるだけでなく、憎しみによる国家や民族の対立を社会が解決しようとするときにも利用できる。前提になるのは、他者への寛容の心は教えて初めて身に付くということだ。とくに子供たちには、いろいろなかたちで手本を示してやる必要がある。人間は協議し愛する能力を生まれながらに備えているが、それと同時に偏見を抱いたり人を憎んだりする能力ももっている。後者ではなく前者を大きく育むには、憎悪を抑制するための策として、ものを考えるときの視点を「われら対、彼ら」から「われらと、われら」に変える必要がある。この視点によって。私たちは他集団に属する人びとを同じ人間とみなし、だれにも共通する人間性と一人ひとりの個性とに焦点をあてることができるのである。
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「激しい嫌悪と怒り」だけでは憎悪には至らないし、同じく「ステレオタイプ化」だけでも、憎悪には至らないんですね。
「彼ら」を「われら」に変換することっていうのは、通常の場合、非常に難しい、不愉快な、理解できないような作業に思えるものなんじゃないでしょうか。難しいから、憎悪や対立がなくならない。
でも、「他者への寛容の心は教えなきゃ身に付かない」っていうんですから、大人は自覚しないといけないですね。大変なんですよね、本当に大人になろうと思ったら。私はなりたいです。なるよ、がんばるよ。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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