対米全面テロ

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カシミールを巡る歴史的背景

投稿者: tero_9_11 投稿日時: 2002/12/31 02:42 投稿番号: [151088 / 177456]
18世紀以降、英国の支配下にあったインドは、1857年には大反乱「セポイの反乱」を起こしたがこれを鎮圧され、以後完全に植民地化されてしまった。
  が、第二次世界大戦後の1947年8月14日、イスラム教徒の多いベンガル地方・シンド地方などが飛び地的な東西パキスタンとして、続く8月15日にはヒンズー教徒の多いインドが、各々英国から分離独立を果たした。しかしその2ヶ月後の10月、イスラム系住民の多いカシミール地方の帰属を巡って両国が対立、武力衝突に発展した。これが第1次インド・パキスタン戦争である。
  もともとカシミール地方は、住民は圧倒的にイスラム系が多い。だが、この地方を治めていた英領時代の藩王国の藩王(マハラジャ)はヒンズー教徒であり、両国が独立した際、住民はパキスタンへの帰属を、支配者たる藩王はインドへの帰属を求めて混乱が生じていた。結果的に各々を支持した両国の衝突へと発展したわけである。
  第1次印パ戦争は、2年後に国連軍の介入によって停戦ラインが策定され、これが現在の実質的な印パ国境となっている。
  1965年8月には、インドが停戦ラインを越えてパキスタン領カシミール地方に侵入、さらにパ領パンジャブ州・シンド州にも進出して紛争が勃発した。これが第2次インド・パキスタン戦争である。
  このときの要因は、カラコルム峠からカシミール経由で進出を遂げようとする中国軍にあった。インドとしては、この進出を阻止するためにカシミール地方全体を支配する必要があったのだ。チベットを併合した中国は、たびたびインド領に侵攻して武力衝突を起こすなど、インドにとっては常に潜在的な敵であった。
  結局第2次印パ戦争は、1年後にソ連の調停で停戦を迎えた。
  その後1971年3月には、西パキスタンの支配下に置かれてきた飛び地の東パキスタンで不満が爆発、独立を宣言するに至った。だが西パキスタンがこれをすんなり了承するわけもなく、東西パキスタンは内戦状態に陥った。事態の収拾を目指したインドはソ連と協議のうえ、同年12月に東西パキスタンに進軍を開始した。これが、第3次インド・パキスタン戦争である。
  2週間に渡る戦闘の末、西パキスタンは降伏、第3次印パ戦争はあえなく停戦を迎えた。また、東パキスタンは新たにバングラデシュ人民共和国として独立を果たした。
  カシミール地方は、第1次印パ戦争後の1949年に策定された停戦ラインで、パキスタンの支配するアザド(自由)・カシミール地方とインドの支配する州都をスリナガルに置くジャム・カシミール地方に分かれている。これらカシミール地方ではテロや騒乱が絶えず、未だに両国の紛争の火種となっている。
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