対米全面テロ

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非力の思想 1

投稿者: chottomato3 投稿日時: 2002/09/10 22:38 投稿番号: [147003 / 177456]

--  戦争の犯罪化のために  --  (上野千鶴子さん・社会学者)


  9・11で世界は変わった、という。ほんとうだろうか。

  世界には、たくさんの9・11がある。無法な暴力で踏みにじられた記憶。たくさんの忘れられた9・11のなかで、なぜ、この9・11だけが特別に記憶に値するのだろうか。

  20世紀は戦争の世紀だったが、21世紀は市民戦争の時代だと言った人がいる。前線なき戦闘。宣戦布告のない戦争。見えない敵。日常生活が一瞬のうちに戦場と化す。



<報復は力ある国のおごり>

  平和な生活手段が凶器に変わる。それもいわれのない悪意や憎悪によって、圧倒的で理不尽な暴力に遭う。この9・11が特別だったのは、標的がアメリカという国家だったことだ。そしてこの国家は、見えない敵に向けて、世界でいちばん豊かな国の国家暴力を動員した。

  たたきのめせ、という声が聞こえる。やってしまえ、という合唱が起きる。そう言えるのは強者の権利。強大な軍事力という危険な道具を手にしたもののおごり。報復は、その力ある者たちだけの選択肢。だが世界には、やられたらやられっぱなしの人々が、たくさんいる。



<一度あげた拳を、おろす>

  暴力を手にした者が、それを使わないように抑制するのはむずかしい。アフガニスタンで、イスラエルで、チリで、非力な人々をおさえこむ無法な暴力が行使される。宣戦布告もなく、国際社会の合意もなく、だれが敵かもよくわからないままに戦争が始まり、殺されていく人々がいる。その理由もわからないままに空爆の犠牲になったアフガニスタンの人々にとっては、アメリカの攻撃も「もうひとつの9・11」だったのではないだろうか。争いのなかでもっとも犠牲となったのは、泣くことと祈ることしかできない者たちだった。

  理不尽な暴力に遭う。ゆるせない、と拳をにぎりしめる。そこまではおなじだ。そこで、くちびるをかみながら拳をおろす。そんな経験を、わたしたちはしてこなかっただろうか。ヒロシマ、ナガサキの惨劇のあと、日本には拳をふりあげる力さえなかった。同じように夫に殴りつづけられる妻も、食ってかかって反撃したりはしない。なぜか。自分の無力さが骨身に沁みているからだ。反撃すれば、もっと手痛いしっぺがえしが待っていることを、知っているからだ。この経験は、無力なものには親しい。

  もしあなたが非力なら、あなたは反撃しようとはしないだろう。なぜなら反撃する力があなたにはないからだ。あなたが反撃を選ぶのは、あなたにその力があるときにかぎられる。そしてその力とは、軍事力、つまり相手を有無を言わさずたたきのめし、したがわせるあからさまな暴力のことだ。

  反撃の力がないとき。わたしたちはどうしたらいいのだろう?   問いは、ほんとうはここから始まるはずだ。

  自爆テロの報に接したとき、これは見たことがある、と思った。アルジェリアの独立戦争で若い女が爆弾を抱いてフランスの施設に突っこんだ。非力な者も、死と引き換えになら、自分自身を武器に変えることができる。女だって男なみに戦力になれる -- -そう考える人もいる。

  非日常のヒロイズムに陶酔したのは男たちだった。だが今日のように明日も生きようとする女の日常にとっては、ヒロイズムは敵だ。そして。かつての学生闘争の中で、どうぞ当たりませんように、と祈るように石を投げながら、男なみになれない自分と、男なみになることの愚かさとを、女はとことん学んだのではなかったか?


(2につづく→)
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