「戦争はダメ」論の続き
投稿者: al_raden_s_apprentice 投稿日時: 2002/08/06 05:19 投稿番号: [145869 / 177456]
手頃な文章があったので,引用する。
『何が何でも戦争をしてはいけない』と言う考えは理想論であって、
現時点で「話し合いで解決できない国家間対立」の解決法が見つかっ
ていない以上、戦争を否定することは出来ません。
(軍事カテ・戦争美化について 投稿者Tornado_F_Mk3AVDさん メッセージ:416/427)
この文を,こう言い換えてみよう。
『何が何でも殺人をしてはいけない』と言う考えは理想論であって、
現時点で「話し合いで解決できない男女間の確執」の解決法が見つ
かっていない以上、殺人を否定することは出来ません。
これだけで,竜巻くんの論理はどこかおかしいと云うことがわかるだろう。
だが,この論理で戦争を肯定する連中は多いのである。
また,「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする,政治の継続にほかならない」という
クラウゼビッツの台詞(もう聞き飽きたぜ。)をいまだに引き合いに出す人もいる。
しかし,戦争とは,国家間の対立を解消するためのただの手段なのだろうか?
嫉妬心と執着に我を忘れて相手の女(または男)を殺すことはなんの解決にもならないのだが,
戦争することは,国家間の対立を解消することになるのだろうか?
カール・シュミットは,クラウゼビッツを批判的に論じて,
戦争は政治の継続ではなく,政治はただ<敵>を決定するだけであって,戦争そのものは,
独自の論理を持つと述べている。
クラウゼビッツとは逆に,戦争は前提として政治を条件付けているものだと云う。
(戦争は外交の「最終手段」だとか,外交の「破綻」だとかいう主張もあるが,
これらもクラウゼビッツの戦争論の俗論として同時に批判されるべきだろう。)
つまり,対立するから戦争が起こるのではなく,対立そのものに既に戦争が含まれている
と云うわけだ。
戦争という側面から見た近代国家(国民国家とも民族国家とも云う)とは,
常備された軍隊と,兵士としての国民,それを維持するための産業,
管理するための法(政治),さらに正当化するための思想等々のコンプレックスに他ならない。
ここでは,戦争は国家自身の自己目的に転化されているのである。
戦争が自己目的化してしまった,わかりやすい国家の例としては,
たとえばナチスドイツや,わが(?)大日本帝国があげられるだろう。
そうなりつつある国家としては,やっぱり今のアメリカ合衆国である(かな?)。
(軍産複合体と云われている産業構造のために,戦争なしには合衆国という
国家そのものを維持できなくなってしまっているように見える。まるで麻薬だな。)
私たちは,そういう国家(・・・国民国家とも民族国家とも近代国家とも云う!
また政治システムの違いによって,自由主義国家とも社会主義国家とも,
全体主義国家とも民主主義国家とも云う!)を共同体として生活しているのである。
戦争暴力を内包しているという点ではどれもおなじ穴の狢と云えよう。
(続く・・・いつになることやら)
『何が何でも戦争をしてはいけない』と言う考えは理想論であって、
現時点で「話し合いで解決できない国家間対立」の解決法が見つかっ
ていない以上、戦争を否定することは出来ません。
(軍事カテ・戦争美化について 投稿者Tornado_F_Mk3AVDさん メッセージ:416/427)
この文を,こう言い換えてみよう。
『何が何でも殺人をしてはいけない』と言う考えは理想論であって、
現時点で「話し合いで解決できない男女間の確執」の解決法が見つ
かっていない以上、殺人を否定することは出来ません。
これだけで,竜巻くんの論理はどこかおかしいと云うことがわかるだろう。
だが,この論理で戦争を肯定する連中は多いのである。
また,「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする,政治の継続にほかならない」という
クラウゼビッツの台詞(もう聞き飽きたぜ。)をいまだに引き合いに出す人もいる。
しかし,戦争とは,国家間の対立を解消するためのただの手段なのだろうか?
嫉妬心と執着に我を忘れて相手の女(または男)を殺すことはなんの解決にもならないのだが,
戦争することは,国家間の対立を解消することになるのだろうか?
カール・シュミットは,クラウゼビッツを批判的に論じて,
戦争は政治の継続ではなく,政治はただ<敵>を決定するだけであって,戦争そのものは,
独自の論理を持つと述べている。
クラウゼビッツとは逆に,戦争は前提として政治を条件付けているものだと云う。
(戦争は外交の「最終手段」だとか,外交の「破綻」だとかいう主張もあるが,
これらもクラウゼビッツの戦争論の俗論として同時に批判されるべきだろう。)
つまり,対立するから戦争が起こるのではなく,対立そのものに既に戦争が含まれている
と云うわけだ。
戦争という側面から見た近代国家(国民国家とも民族国家とも云う)とは,
常備された軍隊と,兵士としての国民,それを維持するための産業,
管理するための法(政治),さらに正当化するための思想等々のコンプレックスに他ならない。
ここでは,戦争は国家自身の自己目的に転化されているのである。
戦争が自己目的化してしまった,わかりやすい国家の例としては,
たとえばナチスドイツや,わが(?)大日本帝国があげられるだろう。
そうなりつつある国家としては,やっぱり今のアメリカ合衆国である(かな?)。
(軍産複合体と云われている産業構造のために,戦争なしには合衆国という
国家そのものを維持できなくなってしまっているように見える。まるで麻薬だな。)
私たちは,そういう国家(・・・国民国家とも民族国家とも近代国家とも云う!
また政治システムの違いによって,自由主義国家とも社会主義国家とも,
全体主義国家とも民主主義国家とも云う!)を共同体として生活しているのである。
戦争暴力を内包しているという点ではどれもおなじ穴の狢と云えよう。
(続く・・・いつになることやら)
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/145869.html