>>>曲解はお止めください(まとめ)
投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/06/07 00:01 投稿番号: [143230 / 177456]
>>ラホール決議・・・ラホールで開かれたムスリム連盟の大会でジンナ総裁がインド・ムスリムの民族自決要求を決議。
インドのヒンドゥーとムスリムはそれぞれ別の国民であるとし、国民会議派の主導するインド独立とは別に、ムスリムの多住諸州での自治(独立)を要求した。
>以上の文面から私は、実質的に植民地としてのインドは終焉を迎えており、この後に起こる暴力行為はイン・パ分離独立の要因ではあれ、
>イギリスの植民地支配の終焉をもたらした主要因とは考えません。
うーん、微妙な言い回しですね。
確かにラホール決議は現在のパキスタン独立のきっかけになってますが、この決議にはインド側はガンジーも反対していましたし、愛弟子のネルー(非暴力主義には従わない行動でしたが)も反対していました。
英国も反対していまして内閣使節団構想(連邦制)を提案したのですが、統一インドを唱えるネルーが今度は反対して「直接行動の日」が起きてます。
http://www.britannica.co.jp/search/item?rgid=07533400
ですから、ラホール決議が「イギリスの植民地支配の終焉をもたらした主要因とは考えません。」ならその通りだと思います。しかし「実質的に植民地としてのインドは終焉迎えている」と位置付けられる出来事ではなく、その後に起こる憎悪の主要因とは言えるかもしれません。
私も反英運動の激化(1940-43年)*1を主要因とは考えていません。やはり内的には、英印円卓会議(1930-32年)までのガンジーの行動と存在そのもの、外的には英国の疲弊だと思います。
やはり、忍耐から勝ちとった平和の【例】に挙げるのは不適切だと思いますよ。
*1,2)京都大学大学院法学研究科附属 国際法政文献資料センター インド 政治運動・政党・新聞 と所蔵機関
(補足2)のURL: http://www3.justnet.ne.jp/~chandragupta/topic/a-pacif.htm
>私は、上記認識です。
その認識ですとその前の文。。。
》イギリスの宗派主義的な政策は実体のない全インドムスリム連盟を過大評価
》したことによって、連盟に「パーキスターン」を要求させ第二次大戦期には
》すでに印パの分離避けられない状況となっていたものの
とあり、ラホール決議を行ったムスリム連盟を否定的に捉えています。私も暴力の要因となったこの連盟には否定的です。pinkfalkonさんはラホール決議あるいは当時のムスリム連盟を評価されているようですがどの点でしょうか?
引用された部分にコメントしますと、インド統治法の改革については、セポイの反乱の後のインド統治改善法を挙げておきます、1935年法は第二次世界大戦時の政情混乱のため十分には機能しなかったらしいぐらいしか分かりません、1904年法は民選議員を増員したそうですがどのような効果があったのでしょうか?
挙げられた中ではガンディー・アーウィン協定が名前が示すとおりガンジーの理念の成果だと思います。ですが英国の衰退と密接に絡んでおりますので、インド統治法史を忍耐から勝ちとった平和の【例】に挙げるのは不適切だと思いますよ。
(補足3)
>約240万人にものぼる人達は、イギリスに協力することで、家族を守り、独立を勝ち取ろうしてたのではないですか?
独立のために他国の戦争に参加して、少なくとも私は、軍人になって人殺しをしたくありません、pinkfalkonさんのご子息を命懸けで止めることは出来ませんが。。。
平和的な統治なら穏やかな移行を望みます、それと、英国の三枚舌外交についての説明は遠慮しときます。
>パレスチナの自爆テロ?
>幸せじゃないですか自分たちの為に、死ねるのですから。(jp_zosoさん誤解されないようにテロ容認の意味ではありません)
聖戦に参加して死ねば天国に行けるそうですが、個人的には不幸だと思います。しかし自爆テロ犯は既に死を決意していますから、発見した時点で射殺する以外ないでしょう。
>パレスチナ人がイスラエルの手先として他国との戦争に狩り出されていますか?
これは聞いたことはありません、徴兵されたインド人もそうだと思いますがパレスチナ人も対米、イ闘争に強制的か騙されて参加しているのでしょうね。
やっぱり、他国の戦争への参加を忍耐から勝ちとった平和の【例】に挙げるのは不適切だと思いますよ。
インドのヒンドゥーとムスリムはそれぞれ別の国民であるとし、国民会議派の主導するインド独立とは別に、ムスリムの多住諸州での自治(独立)を要求した。
>以上の文面から私は、実質的に植民地としてのインドは終焉を迎えており、この後に起こる暴力行為はイン・パ分離独立の要因ではあれ、
>イギリスの植民地支配の終焉をもたらした主要因とは考えません。
うーん、微妙な言い回しですね。
確かにラホール決議は現在のパキスタン独立のきっかけになってますが、この決議にはインド側はガンジーも反対していましたし、愛弟子のネルー(非暴力主義には従わない行動でしたが)も反対していました。
英国も反対していまして内閣使節団構想(連邦制)を提案したのですが、統一インドを唱えるネルーが今度は反対して「直接行動の日」が起きてます。
http://www.britannica.co.jp/search/item?rgid=07533400
ですから、ラホール決議が「イギリスの植民地支配の終焉をもたらした主要因とは考えません。」ならその通りだと思います。しかし「実質的に植民地としてのインドは終焉迎えている」と位置付けられる出来事ではなく、その後に起こる憎悪の主要因とは言えるかもしれません。
私も反英運動の激化(1940-43年)*1を主要因とは考えていません。やはり内的には、英印円卓会議(1930-32年)までのガンジーの行動と存在そのもの、外的には英国の疲弊だと思います。
やはり、忍耐から勝ちとった平和の【例】に挙げるのは不適切だと思いますよ。
*1,2)京都大学大学院法学研究科附属 国際法政文献資料センター インド 政治運動・政党・新聞 と所蔵機関
(補足2)のURL: http://www3.justnet.ne.jp/~chandragupta/topic/a-pacif.htm
>私は、上記認識です。
その認識ですとその前の文。。。
》イギリスの宗派主義的な政策は実体のない全インドムスリム連盟を過大評価
》したことによって、連盟に「パーキスターン」を要求させ第二次大戦期には
》すでに印パの分離避けられない状況となっていたものの
とあり、ラホール決議を行ったムスリム連盟を否定的に捉えています。私も暴力の要因となったこの連盟には否定的です。pinkfalkonさんはラホール決議あるいは当時のムスリム連盟を評価されているようですがどの点でしょうか?
引用された部分にコメントしますと、インド統治法の改革については、セポイの反乱の後のインド統治改善法を挙げておきます、1935年法は第二次世界大戦時の政情混乱のため十分には機能しなかったらしいぐらいしか分かりません、1904年法は民選議員を増員したそうですがどのような効果があったのでしょうか?
挙げられた中ではガンディー・アーウィン協定が名前が示すとおりガンジーの理念の成果だと思います。ですが英国の衰退と密接に絡んでおりますので、インド統治法史を忍耐から勝ちとった平和の【例】に挙げるのは不適切だと思いますよ。
(補足3)
>約240万人にものぼる人達は、イギリスに協力することで、家族を守り、独立を勝ち取ろうしてたのではないですか?
独立のために他国の戦争に参加して、少なくとも私は、軍人になって人殺しをしたくありません、pinkfalkonさんのご子息を命懸けで止めることは出来ませんが。。。
平和的な統治なら穏やかな移行を望みます、それと、英国の三枚舌外交についての説明は遠慮しときます。
>パレスチナの自爆テロ?
>幸せじゃないですか自分たちの為に、死ねるのですから。(jp_zosoさん誤解されないようにテロ容認の意味ではありません)
聖戦に参加して死ねば天国に行けるそうですが、個人的には不幸だと思います。しかし自爆テロ犯は既に死を決意していますから、発見した時点で射殺する以外ないでしょう。
>パレスチナ人がイスラエルの手先として他国との戦争に狩り出されていますか?
これは聞いたことはありません、徴兵されたインド人もそうだと思いますがパレスチナ人も対米、イ闘争に強制的か騙されて参加しているのでしょうね。
やっぱり、他国の戦争への参加を忍耐から勝ちとった平和の【例】に挙げるのは不適切だと思いますよ。
これは メッセージ 143216 (pinkfalkon さん)への返信です.
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