kisimenjpさんへ_思いつき国家論番外
投稿者: al_raden_s_apprentice 投稿日時: 2002/06/04 00:19 投稿番号: [142988 / 177456]
>人としての進化の過程では地球上で
生命が育まれて、心理の奥深い所ではそんな原風景が残っているのではないかと
ぼくのご先祖が,まだバージェス海のピカイアだったころ,
海面から躍り上がったときに見た<陸地>の光景なんですよね。たぶん。
彼は,いづれあそこに行ってみたい!と激しい意欲を燃やしたのでありましょう。
その意欲が,心の奥深いところの「原風景」として,DNAに刻み込まれているのでしょうか!
敵に追われて息も絶え絶えに這い上がったカンブリア紀の砂浜で,
かすんでゆく視界の中にとらえられた光景だとはあんまり思いたくない。
>その結果が自らの生存を危うくする危険も省みず、根拠のないものとしたら
肝心の動物的本能からも外れた、生命原理違反だ(憲法や法以前の)
不勉強でうまく展開できないのですが,
<領土>は,<機能>としての国家(stateの部分)と
<(共同の)幻想>としての国家(nationの部分)を繋ぐ
要にあたるのではないかなと思っています。
ある人間の集団が,子孫を増やしたり,分業をしたり,物々交換したりするあいだに,
だんだんと生まれてきた<仲間意識>のようなもの。
家族,町(村)内,職場,地方(行政区),などなど,幾重にも重なる共同の意識があります。
これは,今<民族意識>と名付けられている共同の観念にまで育った,と考えてよいでしょうか?
ある<民族意識>をもった集団と,別の集団とが出会うところで,
その生産システムの質の違いや,経てきた経験(歴史)の違い,
あるいは作り上げてきた文化(言葉)の違い,等々に,地理的な条件が加わって,
<境界>を意識するようになる。・・・・これが,<国境(くにざかい)>ということなのかな。
さらに,集団の力の差が,その間に従属・被従属という関係を生み出す。
<国家>までもう一歩ですね。
(そういえば,吉本隆明が「共同幻想論」という本を書いていたな。
昔読んだことがあるが,細かい内容なんか覚えちゃいません。・・・それに,たいへん難しかった。
たしか,<共同幻想>が生み出されるプロセスについて議論していた。もう一度読んでみよう。)
さて,<近代国家>のことです。
(<nation state>の訳語,「国民国家」も,まして「民族国家」という言葉も,とりあえず使いません。
これらのタームはどう考えてもせいぜい「理念」としてありうるだけで,
現実のものとは,はげしく乖離していると思うからです。)
産業革命以降の欧米諸国もですが,20世紀後半,過去の植民地の輪郭にそって独立した国家群はとくに,
「国家とは何か」を悠長に論じているいとまもなく,
<国家>を超えてゆこうとする現代社会の動態に飲み込まれて無化そうですし,
また逆にたとえば<民族>の範疇に分離解体されそうでもあります。
ここいらあたりのダイナミズムを,<自分の言葉>でとらえることが,
<思いつき国家論>の目標です。
・・・・なぜ,「思いつき」かというと,
結論があって論を立てているわけではなく,泥縄式に勉強しつつ屁理屈を捏ねているからであります。
生命が育まれて、心理の奥深い所ではそんな原風景が残っているのではないかと
ぼくのご先祖が,まだバージェス海のピカイアだったころ,
海面から躍り上がったときに見た<陸地>の光景なんですよね。たぶん。
彼は,いづれあそこに行ってみたい!と激しい意欲を燃やしたのでありましょう。
その意欲が,心の奥深いところの「原風景」として,DNAに刻み込まれているのでしょうか!
敵に追われて息も絶え絶えに這い上がったカンブリア紀の砂浜で,
かすんでゆく視界の中にとらえられた光景だとはあんまり思いたくない。
>その結果が自らの生存を危うくする危険も省みず、根拠のないものとしたら
肝心の動物的本能からも外れた、生命原理違反だ(憲法や法以前の)
不勉強でうまく展開できないのですが,
<領土>は,<機能>としての国家(stateの部分)と
<(共同の)幻想>としての国家(nationの部分)を繋ぐ
要にあたるのではないかなと思っています。
ある人間の集団が,子孫を増やしたり,分業をしたり,物々交換したりするあいだに,
だんだんと生まれてきた<仲間意識>のようなもの。
家族,町(村)内,職場,地方(行政区),などなど,幾重にも重なる共同の意識があります。
これは,今<民族意識>と名付けられている共同の観念にまで育った,と考えてよいでしょうか?
ある<民族意識>をもった集団と,別の集団とが出会うところで,
その生産システムの質の違いや,経てきた経験(歴史)の違い,
あるいは作り上げてきた文化(言葉)の違い,等々に,地理的な条件が加わって,
<境界>を意識するようになる。・・・・これが,<国境(くにざかい)>ということなのかな。
さらに,集団の力の差が,その間に従属・被従属という関係を生み出す。
<国家>までもう一歩ですね。
(そういえば,吉本隆明が「共同幻想論」という本を書いていたな。
昔読んだことがあるが,細かい内容なんか覚えちゃいません。・・・それに,たいへん難しかった。
たしか,<共同幻想>が生み出されるプロセスについて議論していた。もう一度読んでみよう。)
さて,<近代国家>のことです。
(<nation state>の訳語,「国民国家」も,まして「民族国家」という言葉も,とりあえず使いません。
これらのタームはどう考えてもせいぜい「理念」としてありうるだけで,
現実のものとは,はげしく乖離していると思うからです。)
産業革命以降の欧米諸国もですが,20世紀後半,過去の植民地の輪郭にそって独立した国家群はとくに,
「国家とは何か」を悠長に論じているいとまもなく,
<国家>を超えてゆこうとする現代社会の動態に飲み込まれて無化そうですし,
また逆にたとえば<民族>の範疇に分離解体されそうでもあります。
ここいらあたりのダイナミズムを,<自分の言葉>でとらえることが,
<思いつき国家論>の目標です。
・・・・なぜ,「思いつき」かというと,
結論があって論を立てているわけではなく,泥縄式に勉強しつつ屁理屈を捏ねているからであります。
これは メッセージ 142873 (kisimenjp さん)への返信です.
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