イスラエル再侵攻の影響(
投稿者: lovepeacemama 投稿日時: 2002/05/31 13:09 投稿番号: [142730 / 177456]
ナブルス市の生活環境に対する、イスラエル再侵攻の影響
(The Impact of the Israeli Re-invasion on the Living Environment in
Nablus City)
イサーム・アル−カティブ、ラナ・カティブ(Issam Al−Khatib and Rana
Khatib)
ビルゼイト大学公衆衛生研究所(Institute of Community and Public
Health, Birzeit University)
2002年5月6日
はじめに
ナブルス市は、4000年もの昔から人が居住してきた、世界でも最も古い町のひとつです(El−Masri,1996)。エルサレムの北65キロのところに位置しているナブルスは、ヨルダン川西岸地区の北部一帯における一大居住地域であり、商業の中心地と見なされています。エルサレムに至る主要な道路――南北に走るジェニン道路と、東西に走るトゥルカレム−ヨルダン渓谷(Tulkarem−Jordan Valley)――が交差するという要衝の地にあって、ナブルスは、これからのあらゆる開発計画においても、さらにその重要性を増していくと考えられています。ナブルス市の総人口は、1948年以降作られた難民キャンプの居住者も含めて、2002年初頭時点でおよそ14万9818人――西岸地区で最大の都市となっています。
2002年4月3日(水)の夜に始まった、ナブルス市へのイスラエル軍の再侵攻は、4月21日(日)の夜まで続きました。4つの方向から戦車が市内に入ってきて、特に旧市街に対して激しい攻撃が行なわれました。市はたいへんな被害を受け、何人かの住人が逮捕され、また、殺害されました。旧市街に加えて、バラータ(Balata)、アスカル(Askar)、エイン・ベイト・アルマ(EinBeit Alma)の各難民キャンプも甚大な被害を受け、また、その他の地区も、商用ビルや各種機関、一般家屋や車両が焼かれたり破壊されたりしました。特に被害が大きかったのが、ファイサル(Faisal)通りをはじめとする、アル−クーズ(Al−Quds)、アンマン(Amman)、県庁(Governorate)、市役所(Municipality)、ラフィデア(Rafidia)の各街路に面する一帯です。
今回の再侵攻の当初から、いくつかのビルが、イスラエル軍によって特別の徹底捜索(サーベイランス)ポイントとして選ばれていました。こうしたビルに住む人々は、イスラエル軍がほかの場所をくまなく調べる間、全員がビル内のひとつの住居=アパートに集められました。何千人にも及ぶ市の住民が、無作為に逮捕されては、ナブルスの南5キロのところにあるフーワーラ(Huwwara)軍事キャンプに送られました。
ほとんどの人は、2〜4日を軍事キャンプで過ごして解放されましたが、中には、キャンプからさらに、どことも知れない所に送られた人もいます。市全域に外出禁止令が出されていたので、解放された者も大半は家に戻ることができず、外出禁止令が解除されるまで、やむなく近郊の村々にとどまっていました。今回のイスラエル軍による突然の侵入は、ナブルスの市民生活の様々な面に大きな影響を与えました。以下に、侵攻の結果生じたいろいろな問題について、簡単に報告します。
(The Impact of the Israeli Re-invasion on the Living Environment in
Nablus City)
イサーム・アル−カティブ、ラナ・カティブ(Issam Al−Khatib and Rana
Khatib)
ビルゼイト大学公衆衛生研究所(Institute of Community and Public
Health, Birzeit University)
2002年5月6日
はじめに
ナブルス市は、4000年もの昔から人が居住してきた、世界でも最も古い町のひとつです(El−Masri,1996)。エルサレムの北65キロのところに位置しているナブルスは、ヨルダン川西岸地区の北部一帯における一大居住地域であり、商業の中心地と見なされています。エルサレムに至る主要な道路――南北に走るジェニン道路と、東西に走るトゥルカレム−ヨルダン渓谷(Tulkarem−Jordan Valley)――が交差するという要衝の地にあって、ナブルスは、これからのあらゆる開発計画においても、さらにその重要性を増していくと考えられています。ナブルス市の総人口は、1948年以降作られた難民キャンプの居住者も含めて、2002年初頭時点でおよそ14万9818人――西岸地区で最大の都市となっています。
2002年4月3日(水)の夜に始まった、ナブルス市へのイスラエル軍の再侵攻は、4月21日(日)の夜まで続きました。4つの方向から戦車が市内に入ってきて、特に旧市街に対して激しい攻撃が行なわれました。市はたいへんな被害を受け、何人かの住人が逮捕され、また、殺害されました。旧市街に加えて、バラータ(Balata)、アスカル(Askar)、エイン・ベイト・アルマ(EinBeit Alma)の各難民キャンプも甚大な被害を受け、また、その他の地区も、商用ビルや各種機関、一般家屋や車両が焼かれたり破壊されたりしました。特に被害が大きかったのが、ファイサル(Faisal)通りをはじめとする、アル−クーズ(Al−Quds)、アンマン(Amman)、県庁(Governorate)、市役所(Municipality)、ラフィデア(Rafidia)の各街路に面する一帯です。
今回の再侵攻の当初から、いくつかのビルが、イスラエル軍によって特別の徹底捜索(サーベイランス)ポイントとして選ばれていました。こうしたビルに住む人々は、イスラエル軍がほかの場所をくまなく調べる間、全員がビル内のひとつの住居=アパートに集められました。何千人にも及ぶ市の住民が、無作為に逮捕されては、ナブルスの南5キロのところにあるフーワーラ(Huwwara)軍事キャンプに送られました。
ほとんどの人は、2〜4日を軍事キャンプで過ごして解放されましたが、中には、キャンプからさらに、どことも知れない所に送られた人もいます。市全域に外出禁止令が出されていたので、解放された者も大半は家に戻ることができず、外出禁止令が解除されるまで、やむなく近郊の村々にとどまっていました。今回のイスラエル軍による突然の侵入は、ナブルスの市民生活の様々な面に大きな影響を与えました。以下に、侵攻の結果生じたいろいろな問題について、簡単に報告します。
これは メッセージ 142728 (lovepeacemama さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/142730.html