kisimenjp さんへ (2)
投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2002/05/17 02:35 投稿番号: [142022 / 177456]
>投稿してから、思ったのですが、イスラエルが建国の戦いを
>開始する前のあの地域はどんな状況だったのでしょう。
>元々国としての存在はなかったのですか?
20世紀初頭から1948年頃までのパレスチナの歴史は、重要だと思います。
ちょっと拙いですが、以下にまとめてみました。
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パレスチナは、20 世紀初頭までオスマントルコの領土であったが、第一次世界大戦が始まると、オスマントルコがドイツ陣営に加わったため、イギリスはその背後を衝いた後方撹乱を狙って、この地域に対する政治的工作を開始した。アラブに対して戦後オスマントルコからの独立を約束し、その領土としてパレスチナをも含めて示した。これが 1915 年の「フセイン・マクマホン書簡」であり、この後アラブは、イスタンブールに対して反旗を翻し、参戦するにいたる。(アラビアのロレンスの話として知られる)
イギリスは、また同時にユダヤ人たちから戦争に必要な資金援助を得るために、同じパレスチナの土地にシオニストたちの“ナショナル・ホーム”(国家の前身のようなもの)を樹立するのを許可する。1917 年のバルフォア宣言で、このことは有名なイギリスの二枚舌外交として知られている。しかし、イギリスはさらに同盟国フランスとも密約を交わしていて、戦勝の折には、オスマントルコの領土を2国で分割する約束をしていた。イギリスは三枚舌外交だったわけで、戦後、没落期にあったオスマントルコがいよいよ崩壊すると、このサイクス・ピコ条約という名の密約(1916 年)こそが最優先された。
イギリスは、約束の手前仕方なく、一部地域をアラブに独立国として譲るが(トランスヨルダン首長国)、パレスチナについては、イギリスの委任統治領とし、アラブに対しても、ユダヤ人に対しても二枚舌外交のツケを払わずに済ませた。
ヨーロッパにおいては民族主義の隆盛とともに、ユダヤ人に対する迫害が強まり、ユダヤ人自身が国家を持つべきだとするシオニズムがユダヤ人の中から生まれた。なお、彼らには欧米諸列強以外は存在しないも同然といった空気があり、圧倒的な軍事力で臨めば、原住民など追い散らしてしまっても問題ないと考えていたようだ。最終的には候補地はパレスチナに絞られた。19 世紀末より移住が始まり、イギリスの委任統治下でも、シオニストたちは、ナショナルホームの約束を盾に移住を続けた。それまで、この地では、イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が争うこともなく暮らしていたが、1920 年代以降ユダヤ人の移民が急速に増えるにつけ、現地のパレスチナ人との間の軋轢が顕在化し激化していった。
>開始する前のあの地域はどんな状況だったのでしょう。
>元々国としての存在はなかったのですか?
20世紀初頭から1948年頃までのパレスチナの歴史は、重要だと思います。
ちょっと拙いですが、以下にまとめてみました。
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パレスチナは、20 世紀初頭までオスマントルコの領土であったが、第一次世界大戦が始まると、オスマントルコがドイツ陣営に加わったため、イギリスはその背後を衝いた後方撹乱を狙って、この地域に対する政治的工作を開始した。アラブに対して戦後オスマントルコからの独立を約束し、その領土としてパレスチナをも含めて示した。これが 1915 年の「フセイン・マクマホン書簡」であり、この後アラブは、イスタンブールに対して反旗を翻し、参戦するにいたる。(アラビアのロレンスの話として知られる)
イギリスは、また同時にユダヤ人たちから戦争に必要な資金援助を得るために、同じパレスチナの土地にシオニストたちの“ナショナル・ホーム”(国家の前身のようなもの)を樹立するのを許可する。1917 年のバルフォア宣言で、このことは有名なイギリスの二枚舌外交として知られている。しかし、イギリスはさらに同盟国フランスとも密約を交わしていて、戦勝の折には、オスマントルコの領土を2国で分割する約束をしていた。イギリスは三枚舌外交だったわけで、戦後、没落期にあったオスマントルコがいよいよ崩壊すると、このサイクス・ピコ条約という名の密約(1916 年)こそが最優先された。
イギリスは、約束の手前仕方なく、一部地域をアラブに独立国として譲るが(トランスヨルダン首長国)、パレスチナについては、イギリスの委任統治領とし、アラブに対しても、ユダヤ人に対しても二枚舌外交のツケを払わずに済ませた。
ヨーロッパにおいては民族主義の隆盛とともに、ユダヤ人に対する迫害が強まり、ユダヤ人自身が国家を持つべきだとするシオニズムがユダヤ人の中から生まれた。なお、彼らには欧米諸列強以外は存在しないも同然といった空気があり、圧倒的な軍事力で臨めば、原住民など追い散らしてしまっても問題ないと考えていたようだ。最終的には候補地はパレスチナに絞られた。19 世紀末より移住が始まり、イギリスの委任統治下でも、シオニストたちは、ナショナルホームの約束を盾に移住を続けた。それまで、この地では、イスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒が争うこともなく暮らしていたが、1920 年代以降ユダヤ人の移民が急速に増えるにつけ、現地のパレスチナ人との間の軋轢が顕在化し激化していった。
これは メッセージ 141931 (kisimenjp さん)への返信です.
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