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イスラム原理主義の端緒:イラン史

投稿者: tyger895 投稿日時: 2001/09/13 00:38 投稿番号: [14103 / 177456]
イスラム原理主義が生まれたのは、西洋に対する反発からでした。
絶対に西洋化はしたくないということです。
19世紀、中東地域はヨーロッパからの侵略にさらされました。
北からはロシアが南下政策をとり進出し、イギリスはより強固なインド支配をする為にイギリスとインドを結ぶスエズ運河と南アフリカの二つのルートを守り、世界の覇権を維持する3C政策を取り、ドイツもベルリン、バクダット、ビザンチウムを結ぶルートを支配しようとする3B政策を取っていました。
  そんな中でイギリスの最重要植民地であるインドとロシアにはさまれた地域にあったイスラム王朝(シーア派)カージャール朝はイギリスとロシアに侵略され、不平等条約を結ばされ(トルコマンチャーイ条約   1828)、それに対する抵抗は激しく弾圧され、大勢の人が殺されました(バーブ教徒の乱   1848から1850)。
  そうして19世紀後半、ロシアで革命が起こり、日露戦争を見たイランの知識人は考えました。
  「近代化すれば、この状況を打開できる」と
  そうして彼らはイラン立憲革命(1905から1911)をおこない、憲法と議会を持った国家を作りました。
  しかし、ロシアとイギリスはそれを歓迎しませんでした。叩き潰したのです。
  露、英は軍事介入をし、最終的には英露協商(1905)を結び、イランを侵略して領土を分け合ったのです。
  日本は近代化(西洋化)し、いち早く侵略される側からする側に回りました。しかしイランは真っ先に近代ヨーロッパに侵略されたのです。
  近代化は自国の文化を捨てて、ヨーロッパ文化を受け入れる事です。イラン側にたって考えれば、家族・友人を殺し、住む場所を奪った相手のマネをする事になるわけです。
  そうした中でうまれたのが、ヨーロッパを否定し、理想を実現する為のイスラム原理主義であるわけです。
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