森沢典子さんのパレスチナ報告4
投稿者: hana_2001_jp 投稿日時: 2002/04/18 02:56 投稿番号: [140480 / 177456]
ジェニンでは、救急車が戦車によって爆撃され、救急センターのデイレクターが
殺されました。センターの方にその時の写真を見せてもらいましたが、頭や顔まで
真っ黒に焼け焦げた姿には面影など何も残っていません。
彼は、9才の女の子を救出に向う途中でした。
けれども救出を待ったまま、その女の子も亡くなりました。もちろんそうなることを
狙って、救急車を攻撃してくるのです。
彼らの意図はテロの撲滅ではなくて、パレスチナ人の撲滅であることがだんだん
分かってきました。
うすうすは気づいていましたが、本当にこの現代社会で、民主主義を唱えている国が
総力を尽してそんなことが出来るとは、どうしてもイメージできませんでした。
私たちは、殺されたデイレクターの家族も訪ねましたが、力なく肩を落としている
年老いた彼の母親にかける言葉もみつからず、ただ手を握り、見つめあうのが
精一杯でした。私は悔しくて背中が震えてしまいました。
ジェニンキャンプでもUNRWA(パレスチナ人のための国際支援団体、
日本もたくさん援助している)の女子小学校を訪ねましたが、もちろん戦車によって
爆撃を受け校庭も校舎も銃弾の跡で穴だらけでした。
フランス人たちは、イスラエルに対して請求書を送ると言っていました。
そして、一番援助している日本の政府は、抗議をしないの?と言いました。
ある女の子が、私にノートを見せてくれました。
彼女のノートは、銃弾を受けびりびりに切り裂かれていました。
そしてその裂け目の間に、まだ弾丸がくいこんだままでした。
彼らは、授業中の小学校を銃撃したのです。たくさんの子どもが殺され
怪我をしています。
もちろん、病院へ運ぶどころか、助け出すことも阻まれます。助け出そうとするもの
は容赦なく撃たれてしまうのです。
この日UNRWAのジェネラルデイレクターが駆けつけてキャンプに入ろうとしまし
たがイスラエル兵はそれも拒みました。
このジェニンキャンプは、わずか1平方kmの土地に15000人もの難民の人々が
肩をひしめきあって生活しています。
皆1948年以降、イスラエルにより土地を奪われ難民となった人々です。
3月4日に占領侵攻され、同じようにたくさんの人が殺されましたが、ここでは
死体をキャンプの外にある墓地に運ぶのを、イスラエル兵によって阻まれました。
それで仕方なく、キャンプの中の可能な場所に埋めて人々はお墓を作りました。
ところがそのすぐ後イスラエル兵は、戦車やブルドーザーでそのお墓を掘り返し
破壊していきました。
私は、掘り返されてまだ間も無いそのお墓の、写真を撮る他に何も出来ませんでし
た。
フランス人の母親達が帰国した後、私は一人でベツレヘム、そしてガザにも行きまし
た。
ウエストバンクの状況を見て、ガザはもっと悲惨であろうことが予想できたので
どうしても行く必要がありました。
一人で行動しないように言われていたので一緒に行く人を探しましたが、見つけるこ
とが出来なかったので仕方なくあちらのNGOオフィスの住所の書かれたメモを一枚もっ
て一人で行きました。
ガザは、エルサレムから車で一時間半程南に走ったところにあります。朝一番に乗合
タクシー(セルビスと言って時間で走るのではなく、同じ方向に向かう乗客が集まり
車がいっぱいになったら出発します。)に乗り込んで待っていましたが、予想通り一人のお
客も来ないので、一人乗りタクシーで向いました。こんな時にガザに行く人などいる訳もありま
せん。
殺されました。センターの方にその時の写真を見せてもらいましたが、頭や顔まで
真っ黒に焼け焦げた姿には面影など何も残っていません。
彼は、9才の女の子を救出に向う途中でした。
けれども救出を待ったまま、その女の子も亡くなりました。もちろんそうなることを
狙って、救急車を攻撃してくるのです。
彼らの意図はテロの撲滅ではなくて、パレスチナ人の撲滅であることがだんだん
分かってきました。
うすうすは気づいていましたが、本当にこの現代社会で、民主主義を唱えている国が
総力を尽してそんなことが出来るとは、どうしてもイメージできませんでした。
私たちは、殺されたデイレクターの家族も訪ねましたが、力なく肩を落としている
年老いた彼の母親にかける言葉もみつからず、ただ手を握り、見つめあうのが
精一杯でした。私は悔しくて背中が震えてしまいました。
ジェニンキャンプでもUNRWA(パレスチナ人のための国際支援団体、
日本もたくさん援助している)の女子小学校を訪ねましたが、もちろん戦車によって
爆撃を受け校庭も校舎も銃弾の跡で穴だらけでした。
フランス人たちは、イスラエルに対して請求書を送ると言っていました。
そして、一番援助している日本の政府は、抗議をしないの?と言いました。
ある女の子が、私にノートを見せてくれました。
彼女のノートは、銃弾を受けびりびりに切り裂かれていました。
そしてその裂け目の間に、まだ弾丸がくいこんだままでした。
彼らは、授業中の小学校を銃撃したのです。たくさんの子どもが殺され
怪我をしています。
もちろん、病院へ運ぶどころか、助け出すことも阻まれます。助け出そうとするもの
は容赦なく撃たれてしまうのです。
この日UNRWAのジェネラルデイレクターが駆けつけてキャンプに入ろうとしまし
たがイスラエル兵はそれも拒みました。
このジェニンキャンプは、わずか1平方kmの土地に15000人もの難民の人々が
肩をひしめきあって生活しています。
皆1948年以降、イスラエルにより土地を奪われ難民となった人々です。
3月4日に占領侵攻され、同じようにたくさんの人が殺されましたが、ここでは
死体をキャンプの外にある墓地に運ぶのを、イスラエル兵によって阻まれました。
それで仕方なく、キャンプの中の可能な場所に埋めて人々はお墓を作りました。
ところがそのすぐ後イスラエル兵は、戦車やブルドーザーでそのお墓を掘り返し
破壊していきました。
私は、掘り返されてまだ間も無いそのお墓の、写真を撮る他に何も出来ませんでし
た。
フランス人の母親達が帰国した後、私は一人でベツレヘム、そしてガザにも行きまし
た。
ウエストバンクの状況を見て、ガザはもっと悲惨であろうことが予想できたので
どうしても行く必要がありました。
一人で行動しないように言われていたので一緒に行く人を探しましたが、見つけるこ
とが出来なかったので仕方なくあちらのNGOオフィスの住所の書かれたメモを一枚もっ
て一人で行きました。
ガザは、エルサレムから車で一時間半程南に走ったところにあります。朝一番に乗合
タクシー(セルビスと言って時間で走るのではなく、同じ方向に向かう乗客が集まり
車がいっぱいになったら出発します。)に乗り込んで待っていましたが、予想通り一人のお
客も来ないので、一人乗りタクシーで向いました。こんな時にガザに行く人などいる訳もありま
せん。
これは メッセージ 140479 (hana_2001_jp さん)への返信です.
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