chottomato2さんへ ふつうの人
投稿者: kisimenjp 投稿日時: 2002/02/13 16:46 投稿番号: [135241 / 177456]
あなたのつぶやきは考えるほどに難しくなる。
軽いレスをとまた言われるかもしれないが、これも性分。
>「ふつうの人たち」を助けて欲しい。
優秀な人達は、その人たちを対象に様々なことを行なう。
思想家は「社会理論」を、革命家は「社会秩序」の変化を
宗教家は「信仰」による救いを、発明家は「道具」を
起業家は「会社」で雇用を、政治家は「?」などなどイロイロとあるね。
そして時代と共に変化して、その変化に「ふつうの人たち」は
振り回される。
ビンラディンも「ふつうの人たち」を対象に行動した。
ひょっとしてアメリカ以外の人を助けるつもりもあったかもしれない、
今にして思えば独り善がりで、アフガンの「ふつうの人たち」は苦しんだ。
アメリカも自国の「ふつうの人たち」の為、「テロ」を防ぐと立ち上がった。
持っているものが、呆れるほどの武力だけだったかもしれないが。
日本の社会では「ふつうの人たち」が経済成長で少し前までの期間、
さほど不自由なく幸せらしく生きてきた、すべての事に「安全」と「平和」が疑いなく保たれていると、
そしてちょっと前に「普通の国」に成る為にと言った政治家も居たのである。
それでは「ふつうの人たち」とはどんな人たちだろうか?
「並」とか「通常」とか「ありふれたもの」などの意味があるが
「ふつうの人たち」はそんなものを望んで日々を過ごすのだろうか?
今流行りの「占い」は日常を超えた神秘の中に、より確かなものを求めたり。
オリンピックは「ふつうの人たち」よりすごい筋力で、すごい技をみせて
感動を与えてくれる。
「宗教」では「ふつうの人たち」の日常の苦しみを、神の言葉として
語り祈ることで、日常を超えた別の世界を見せてくれるのではないだろうか。
「民主主義国家」では「ふつうの人たち」の代表として、国権の発動が
政治家によって行なわれている、日本でも世論と違うとよく言われるが
今の政権を支持している人は大多数いることは確かなことである。
さて「助けてもらう」事だが、それはいつの時代、どんな世界でも
「絶対無い」が真理ではないだろうか?
この地球に生きて、自然の摂理に則るならば、どんな生命も食物連鎖を
始め、大きな循環の中で生きている。
人間の生存さえ、太古の歴史で支えられ、便利な物もそれを食い潰しているだけ。
「ふつうの人たち」という意識では、成り立たないのが「人間」である。
洋服ひとつとってもまるで同じものは「イヤ」が実際のところだ。
そこから離れ、どうせ生きて死ぬのは確実なら、自分だけの「生」を
尽くして終わりたいのが人間の尊厳ではないだろうか?
軽いレスをとまた言われるかもしれないが、これも性分。
>「ふつうの人たち」を助けて欲しい。
優秀な人達は、その人たちを対象に様々なことを行なう。
思想家は「社会理論」を、革命家は「社会秩序」の変化を
宗教家は「信仰」による救いを、発明家は「道具」を
起業家は「会社」で雇用を、政治家は「?」などなどイロイロとあるね。
そして時代と共に変化して、その変化に「ふつうの人たち」は
振り回される。
ビンラディンも「ふつうの人たち」を対象に行動した。
ひょっとしてアメリカ以外の人を助けるつもりもあったかもしれない、
今にして思えば独り善がりで、アフガンの「ふつうの人たち」は苦しんだ。
アメリカも自国の「ふつうの人たち」の為、「テロ」を防ぐと立ち上がった。
持っているものが、呆れるほどの武力だけだったかもしれないが。
日本の社会では「ふつうの人たち」が経済成長で少し前までの期間、
さほど不自由なく幸せらしく生きてきた、すべての事に「安全」と「平和」が疑いなく保たれていると、
そしてちょっと前に「普通の国」に成る為にと言った政治家も居たのである。
それでは「ふつうの人たち」とはどんな人たちだろうか?
「並」とか「通常」とか「ありふれたもの」などの意味があるが
「ふつうの人たち」はそんなものを望んで日々を過ごすのだろうか?
今流行りの「占い」は日常を超えた神秘の中に、より確かなものを求めたり。
オリンピックは「ふつうの人たち」よりすごい筋力で、すごい技をみせて
感動を与えてくれる。
「宗教」では「ふつうの人たち」の日常の苦しみを、神の言葉として
語り祈ることで、日常を超えた別の世界を見せてくれるのではないだろうか。
「民主主義国家」では「ふつうの人たち」の代表として、国権の発動が
政治家によって行なわれている、日本でも世論と違うとよく言われるが
今の政権を支持している人は大多数いることは確かなことである。
さて「助けてもらう」事だが、それはいつの時代、どんな世界でも
「絶対無い」が真理ではないだろうか?
この地球に生きて、自然の摂理に則るならば、どんな生命も食物連鎖を
始め、大きな循環の中で生きている。
人間の生存さえ、太古の歴史で支えられ、便利な物もそれを食い潰しているだけ。
「ふつうの人たち」という意識では、成り立たないのが「人間」である。
洋服ひとつとってもまるで同じものは「イヤ」が実際のところだ。
そこから離れ、どうせ生きて死ぬのは確実なら、自分だけの「生」を
尽くして終わりたいのが人間の尊厳ではないだろうか?
これは メッセージ 135191 (chottomato2 さん)への返信です.
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