「競争」 heichan3000さん
投稿者: lovepeacemama 投稿日時: 2002/02/11 12:14 投稿番号: [134999 / 177456]
>lovepeacemamaさんの書き込みは時折拝見しますが、基本的に「人間は争うべきか?争うべきでないか…?争うべきではない!弱いものが苦しみ人類全体も苦しむのだから当然間違っている。人間はそういう気持ちをなくすべきなのになぜ争うの?」
という考え方をされているのではないでしょうか?
うーーーん・・
ちょっと違います。
私も人間同士の「争い」や「競争」全てを否定しているわけではないのです。
豊かな生活を得るためや、自分を高めるために争うのは私も人間としての本能だと思うし、私もそういった向上心は大切だと思っています。でも人の命を奪ってまでそんなことをしても良いのか???と言っているのです。
人の命を自分の欲望のために奪うのだけは良くないと・・・
>もちろんそういう議論は決しておかしくありませんが、多分jp_zosoさんは「人間同士が生きるために争うこと」自体を人間性の本質として認めているのだと思いますよ。別に「人は世界中でどんどん争うべきだ!」という事ではなく、「空しくても苦しくても生きるために必死で戦うのが人間の本来の姿である。俺はそういう人間を愛する」というような感じでないでしょうか。
ぞそさんの仰ることも貴方の仰りたいことも解ります。
私もテロや戦争と言った命を奪う行為はとても憎いし許せるものではないけれど、それを行っている人間を憎いと言っているわけではありません。
だから、テロ実行犯の顔や生い立ちを見たり聞いたりしても彼ら個人に「憎しみ」と言う感情はわいてこなかったしむしろどうしてこんな死に方をしなければならなかったんだろうと悲しみさえ覚えました。
アフガンに爆弾を落としているアメリカ兵士に対しても同じです。
タリバンやアルカイダ兵士に対しても同じです。
貴方の言う「人類愛」についてもほぼ同じ思いです。
命の奪い合いをすることがいやなだけなのです。
そういった「人類愛」を考えれば、今この時代に同じ地球で生きるための最低の保障も得られずに苦しんでいる人たちの為に、恵まれた環境にいる私たちが少しでも力になりたいと思うのは自然なことだとおもいませんか?
私も、なんでもかんでも、彼ら(苦しんでいる人たち)に与えてあげればいいといっているのではありません。
ただ、生きるのに精一杯で教育を受けることもできない子供達や、豊富な水が得られなくて畑を耕すこともできない人たちに、学校へ行かれるような環境を整えてあげたり、井戸を掘る手伝いや技術を教えてあげたりする位は私たちがやるべきではないのでしょうか?(同じ人間として)
その後はもちろん、彼らの努力次第だし、彼らの「競争」だと思います。
その後はぞそさんの仰るように「後はがんばってね。」でも良いと思います。
>今の日本の社会(特に言論や教育の場)には、どこかそういう生きるため、あるいは良く生きるためにに争う人間の現実の姿を忌避し、非現実的な「争わない人間像」「助け合う人間像」を掲げる「きれいごとの文化」に染まっているような感じを受けることが多々あります。決して「理想主義」というようなものはなく、もっと欺瞞的・逃避的というか病的なものを感じるのです。
それは私も時々感じます。
私も子供がいるので・・・。
私の言いたいことわかっていただけたでしょうか・・・・
自分の考えをまとめて文章にするのが苦手なので不安です。
また、異論などありましたら、是非お願いします。
という考え方をされているのではないでしょうか?
うーーーん・・
ちょっと違います。
私も人間同士の「争い」や「競争」全てを否定しているわけではないのです。
豊かな生活を得るためや、自分を高めるために争うのは私も人間としての本能だと思うし、私もそういった向上心は大切だと思っています。でも人の命を奪ってまでそんなことをしても良いのか???と言っているのです。
人の命を自分の欲望のために奪うのだけは良くないと・・・
>もちろんそういう議論は決しておかしくありませんが、多分jp_zosoさんは「人間同士が生きるために争うこと」自体を人間性の本質として認めているのだと思いますよ。別に「人は世界中でどんどん争うべきだ!」という事ではなく、「空しくても苦しくても生きるために必死で戦うのが人間の本来の姿である。俺はそういう人間を愛する」というような感じでないでしょうか。
ぞそさんの仰ることも貴方の仰りたいことも解ります。
私もテロや戦争と言った命を奪う行為はとても憎いし許せるものではないけれど、それを行っている人間を憎いと言っているわけではありません。
だから、テロ実行犯の顔や生い立ちを見たり聞いたりしても彼ら個人に「憎しみ」と言う感情はわいてこなかったしむしろどうしてこんな死に方をしなければならなかったんだろうと悲しみさえ覚えました。
アフガンに爆弾を落としているアメリカ兵士に対しても同じです。
タリバンやアルカイダ兵士に対しても同じです。
貴方の言う「人類愛」についてもほぼ同じ思いです。
命の奪い合いをすることがいやなだけなのです。
そういった「人類愛」を考えれば、今この時代に同じ地球で生きるための最低の保障も得られずに苦しんでいる人たちの為に、恵まれた環境にいる私たちが少しでも力になりたいと思うのは自然なことだとおもいませんか?
私も、なんでもかんでも、彼ら(苦しんでいる人たち)に与えてあげればいいといっているのではありません。
ただ、生きるのに精一杯で教育を受けることもできない子供達や、豊富な水が得られなくて畑を耕すこともできない人たちに、学校へ行かれるような環境を整えてあげたり、井戸を掘る手伝いや技術を教えてあげたりする位は私たちがやるべきではないのでしょうか?(同じ人間として)
その後はもちろん、彼らの努力次第だし、彼らの「競争」だと思います。
その後はぞそさんの仰るように「後はがんばってね。」でも良いと思います。
>今の日本の社会(特に言論や教育の場)には、どこかそういう生きるため、あるいは良く生きるためにに争う人間の現実の姿を忌避し、非現実的な「争わない人間像」「助け合う人間像」を掲げる「きれいごとの文化」に染まっているような感じを受けることが多々あります。決して「理想主義」というようなものはなく、もっと欺瞞的・逃避的というか病的なものを感じるのです。
それは私も時々感じます。
私も子供がいるので・・・。
私の言いたいことわかっていただけたでしょうか・・・・
自分の考えをまとめて文章にするのが苦手なので不安です。
また、異論などありましたら、是非お願いします。
これは メッセージ 134858 (heichan3000 さん)への返信です.
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