対米全面テロ

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>>txh13さんへ  cosmos_probe 宇宙

投稿者: txh13 投稿日時: 2002/02/08 19:57 投稿番号: [134692 / 177456]
>「縁」というものをどのように定義なさっているのか知りませんが、その言葉をつかって展開される理論は非常に厳密性に
欠けた理論である可能性が高いと、勝手ながら推測しておりましたので、


仏教でいう「縁」は「奇妙な現象を稀に体験することもありますから」とか俗に言う「縁は異なもの」(私自身はこの言葉が好きですが)とかそのように迷信じみた(厳密性を欠いた)ものではなく、厳密に理詰め(科学的)でソフィスティケートされたもの(因果論)だと思います。

ある出来事は無数の諸原因の「結果」であり、その「結果」自身が次の「結果(出来事)」の無数の諸原因の「一つ」になるという、「結果」と「原因」がなんらかの関係性(つながり)をもっているという見方です。仏教ではこれをつきつめて「同時因果」といって、因と果は相互に同時に入れ替わる(メビウスの環、自己言及的)という考えに至ります。現代物理学ではハイゼンベルグの不確定性原理と通底するような気がします。このたとえは不正確という人もいるようですが。

最後の点(同時因果)は別として、ある出来事は無数の諸原因を持つという考えは常識的(理性的)に納得のいく見方ではありませんか。

無数の諸原因(関係性)ということと結局同じことになると思いますが、たとえをちょっと変えると、私があるのは作者(両親)があるから、その両親はその両親があるからというように溯っていくと宇宙の存在にいきつき、その作者(創造主)はだれかということになり、cosmos_probeさんの発想ではそれは超越神だということになるのでしょうが、その超越神をこしらえたのは誰かという問いがまだあるわけで、自己原因という苦しい説明が待っているわけです。

それより、自然(じねん)、自己生成(オート・ジェネシス)のほうが私にはずっと納得のいく(理性的、常識的)説明ですが。

>使命を全うした喜びもまた、伴いますね。

仏教ではこの「喜び」の感情を「マナ識」のしわざと見てそう簡単に肯定しません、メビウスの環のひねり(否定)を通じてなら「肯定」しますが、そこ(背後)には常に「否定」があるわけです。現代的に言えば、リチャード・ドーキンスの言う「利己的遺伝子」ですね。個々の人間、生命体は「利己的遺伝子」の乗り物。そこからみると喜怒哀楽は「利己的遺伝子」がわれわれ乗り物を操るための餌ということになります。

>我々の宇宙は定説では有限であり、従ってエネルギーは有限であります。

宇宙は有限というのは定説なんですか。どのような意味で有限なんでしょうか。

「ある深遠な原理」、「その原因は・・・と無限の問いに答えうる以上のものがその背後にある」。これは結局ユダヤ・キリスト教的な唯一超越神のことですね。これは信仰の問題で理性、常識の問題ではないと思います。

ところで、仏教(思想)は本質的には西洋的な意味での宗教、信仰とは似て非なるものと私は思います。私見では仏教は最高度に理性的です。理性で理性を突き詰めていってそれ自身を「破綻」させるほど。念のために言いますが、これはドストエフスキーやキルケゴールなどの信仰への飛躍(ジャンプ)とは似て非なるものと思います。現代的にいえば、いわゆる脱構築に近いのではないかと思います
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