>「冬季五輪」
投稿者: chottomato2 投稿日時: 2002/02/08 12:58 投稿番号: [134622 / 177456]
■冬季五輪――豊かな感動を楽しもう
ソルトレーク冬季五輪が明日から始まる。
冬季では最も多い77カ国・地域が参加する。21世紀最初の五輪だ。
かじ取りの国際オリンピック委員会(IOC)会長も、サマランチ氏からロゲ氏に代わった。ヨットで3度の五輪出場経験を持つベルギー人の医師である。
サマランチ氏は、財政的に行き詰まっていた五輪をテレビ向きに仕立て直し、放映権料収入などでリッチにした。ロゲ会長は、サマランチ時代の行き過ぎた商業主義や腐敗体質をただす役回りといえる。
ソルトレーク五輪の招致疑惑を教訓にして倫理規定を強化した。五輪の規模縮小を検討する委員会も作った。IOC総会でも最上級ホテルには宿泊せず、倹約と質素を旨としている。今回の期間中は選手村に泊まる。好感がもてる姿勢である。
ソルトレーク五輪は同時多発テロ後の米国で開催される。地元の五輪組織委員会は、開会式でテロに立ち向かう米国民を励ますセレモニーを予定した。
犠牲者を追悼したいという米国民の感情は理解はできる。でも、ちょっと待ってもらいたい。あまりに米国のナショナリズムを見せつけられるのはどうか。
ロゲ会長は「大会は犠牲者の追悼より、暴力に対する抗議の意味をこめたい」と語り、セレモニーを全世界向け放映前に終えることにした。うまいやり方だ。
米国側は、テロで崩壊した世界貿易センタービルに掲げられていた星条旗を行進に使用したいとも主張した。IOCはこれを認めず、会場に掲げることで落着させた。ロゲ会長の信念がうかがえる。
過剰なナショナリズムは、他者の排除につながりかねない。五輪の熱狂は、その道具となる危うさを秘めている。
五輪憲章が「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競技であり、国家間の競技ではない」と定めていることを、いま一度思い出したい。
五輪の国家からの解放は、日本でも進んでいるとは言い難い。
選手団の編成方針には今回も「礼儀を尊び規律を遵守(じゅんしゅ)し、活力ある日本を代表するにふさわしい選手、役員をもって編成する」とある。「国民の期待に応(こた)え得る競技力を持つ者」という表現も変わらない。
両肩に「国家」や「規律」をズシリと背負わせるような文言は、若い選手の力を引き出すことにはつながるまい。
メダル至上主義も無用である。競技スポーツのだいご味は、一定のルールの下で極限まで競う美しさにあるから、メダルや順位は重要な要素だが、それだけにこだわるのはよくない。敗者がかみしめる苦さを共有することも五輪観戦の魅力の一つ、といった余裕が大切である。
選手も見る側も、偏狭なナショナリズムや愛国心に縛られることなく、豊かな感動を楽しめる平和の祭典にしたい。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
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以上、今日のasahi.com「社説」より。
>選手の皆さんにはがんばってほしいけど。
同感です。
ソルトレーク冬季五輪が明日から始まる。
冬季では最も多い77カ国・地域が参加する。21世紀最初の五輪だ。
かじ取りの国際オリンピック委員会(IOC)会長も、サマランチ氏からロゲ氏に代わった。ヨットで3度の五輪出場経験を持つベルギー人の医師である。
サマランチ氏は、財政的に行き詰まっていた五輪をテレビ向きに仕立て直し、放映権料収入などでリッチにした。ロゲ会長は、サマランチ時代の行き過ぎた商業主義や腐敗体質をただす役回りといえる。
ソルトレーク五輪の招致疑惑を教訓にして倫理規定を強化した。五輪の規模縮小を検討する委員会も作った。IOC総会でも最上級ホテルには宿泊せず、倹約と質素を旨としている。今回の期間中は選手村に泊まる。好感がもてる姿勢である。
ソルトレーク五輪は同時多発テロ後の米国で開催される。地元の五輪組織委員会は、開会式でテロに立ち向かう米国民を励ますセレモニーを予定した。
犠牲者を追悼したいという米国民の感情は理解はできる。でも、ちょっと待ってもらいたい。あまりに米国のナショナリズムを見せつけられるのはどうか。
ロゲ会長は「大会は犠牲者の追悼より、暴力に対する抗議の意味をこめたい」と語り、セレモニーを全世界向け放映前に終えることにした。うまいやり方だ。
米国側は、テロで崩壊した世界貿易センタービルに掲げられていた星条旗を行進に使用したいとも主張した。IOCはこれを認めず、会場に掲げることで落着させた。ロゲ会長の信念がうかがえる。
過剰なナショナリズムは、他者の排除につながりかねない。五輪の熱狂は、その道具となる危うさを秘めている。
五輪憲章が「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競技であり、国家間の競技ではない」と定めていることを、いま一度思い出したい。
五輪の国家からの解放は、日本でも進んでいるとは言い難い。
選手団の編成方針には今回も「礼儀を尊び規律を遵守(じゅんしゅ)し、活力ある日本を代表するにふさわしい選手、役員をもって編成する」とある。「国民の期待に応(こた)え得る競技力を持つ者」という表現も変わらない。
両肩に「国家」や「規律」をズシリと背負わせるような文言は、若い選手の力を引き出すことにはつながるまい。
メダル至上主義も無用である。競技スポーツのだいご味は、一定のルールの下で極限まで競う美しさにあるから、メダルや順位は重要な要素だが、それだけにこだわるのはよくない。敗者がかみしめる苦さを共有することも五輪観戦の魅力の一つ、といった余裕が大切である。
選手も見る側も、偏狭なナショナリズムや愛国心に縛られることなく、豊かな感動を楽しめる平和の祭典にしたい。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
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以上、今日のasahi.com「社説」より。
>選手の皆さんにはがんばってほしいけど。
同感です。
これは メッセージ 134607 (lovepeacemama さん)への返信です.
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