>なぜ「ユダヤ人」なのか?
投稿者: kamemusi48 投稿日時: 2002/01/26 01:16 投稿番号: [132293 / 177456]
>ほんとの悪は、わたしたちの内にあるのでは?
そのとおりですね。
「マタイ受難曲」のいちばん盛り上がるのは、イエスがピラトの前に引き出されて詮議を受ける場面。
「十字架にかけろ!」と興奮した民衆が口々に叫ぶ。
刑場に引かれていくイエスに唾を吐きかけ罵る。
さらに十字架上の姿に向かって「神の子ならば自分を救ってみろ」と罵声が飛ぶ。
キリスト教徒ではない身にもずきんときました。
もうひとつ。魯迅の「阿Q正伝」
気のいいホームレス(今の言葉で言うと)の阿Qは、何が何だかわからないうちに、革命党による略奪に加わったとされて死刑になる。
処刑のまえ、市中を引き回される彼の目に映る、怒り狂った群衆の姿。「残忍な、それでいて臆病な、きらきら鬼火のように光る眼。」
なかにはちょっと前まで親切してくれた人も混じっている。
ひとりは神の子、ひとりはホームレス。しかし同じの無実の人を群衆は熱狂しながら、処刑場に送ってしまった。
群衆とはとりもなおさず、私たち自身。
理性を失った群衆は恐ろしい。とくにこういう不安な世情のもとでは、特定の人や集団にすべて、悪しきものの原因を背負わせて、つかの間の安心を得ようとする傾向が生じやすい。
それでも不安なら、そういう存在をこの世から消してしまおうとする。
それが全体主義の歴史。
二度と繰り返しはならないと思います。
これは メッセージ 132261 (chottomato2 さん)への返信です.
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