罪を憎んで人を憎まず
投稿者: kamemusi48 投稿日時: 2002/01/24 15:12 投稿番号: [132022 / 177456]
原則としては賛成なのですが。たとえ私がけっこう執念深くひとを憎むたちであっても。
死刑廃止論のよりどころとしては異議はありません。
しかし、少数者に対する差別、偏見、抑圧という問題になるとなかなかそうも言えないのではないかと思います。
差別や偏見は、なによりも私たち自身の問題ですし、20世紀の幾多の悲劇を引き起こした「全体主義」につながる現象です。
正直、大丈夫とは思えないのです。
強盗に入って見つかりそこの家人を皆殺しにしたというような事件の場合、私たちは、そういうことをする人間は圧倒的に少ないゆえに、距離を持って見ることができ、罪とは何か、それを犯した人間はどういう処遇を受けるべきかある程度冷静に考えることができます。
しかしながら少数者や特定の人、集団に対する差別、抑圧は多数の一般の人々の心に根を持つものですから、「差別」という罪だけを取り出して、それを行う「人々」を、ただ「憎まず」として、等閑に付すのはちょっとまずいのでは思うのです。
簡単に言えば、自己批判をする機会を失ってしまうのではないかと。
もちろんこれは一般論で、今回の中村医師をめぐる発言については肩凝りさんのおっしゃるとおりでしょう。
何のことはない、松本サリン事件の河野さんをめいっぱい疑ってしまった私自身の苦い経験から、ひと=自分も憎まれなければ、と思ったりするわけです。よくわかりもしないのに周囲の熱狂につられて無実の人に石を投げつける群衆に、自分もなり得るのかと思うと、どうにもやりきれないのです。
話題のNGOですが、「ホームレス入門」の風樹茂さんがおもしろいことを書いていました。海外で長く活動していた著者は、教会やNGOというとまず疑ってかかる癖がついたそうです。サヨク!というのではなくて、政府や軍がお金を出して反政府勢力の切り崩しに利用したり、スバイもどきの活動をしていたりということがあったからだそうです。
夢破れた元サヨクが反戦平和のNGOを名乗って社会主義再興をもくろむというのなら、逆にNGOの活動を隠れ蓑に、国民の反政府的言動を監視、密告するなんてことも将来あるんでしょうかね。
これは メッセージ 131898 (katakorichan さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/132022.html