空爆外交 ぼやける戦後
投稿者: chottomato2 投稿日時: 2002/01/12 20:40 投稿番号: [130137 / 177456]
「ザシュト(なぜ)?」と刻まれた石碑に、ジャンカ・ストヤノビッチ(64)は白い菊の花束を供えた。左胸のブローチの中で、短髪の青年の写真が笑っている。
「私は笑うことを忘れてしまった。ネボイシャはたった1人の身内だった」。そう言って、壁が崩れ落ち、鉄骨がむき出しになった4階建てのビルを仰ぎ見た。
99年4月23日午前2時6分。北大西洋条約機構(NATO)軍のレーザー誘導爆弾が、ユーゴスラビアの首都ベオグラードにある国営放送ビルに命中した。当直の技師16人が死んだ。
◇ ◇ ◇
「空襲警報が聞こえたら、すぐ逃げなさい」と、母は25歳の息子を送り出した。「大丈夫、アメリカ人もいるから」。欧米のテレビクルーが、送信設備を借りにビルに出入りしていると息子は言った。「爆弾を落とすはずがないさ」
3日後、母は息子に再会した。右半身が吹き飛ばされてなかった。
米国防総省の報道官は「放送局はミロシェビッチ(ユーゴ前大統領)の宣伝マシンだった」として、空爆は正当だと主張した。母親のストヤノビッチはその後、欧米のテレビクルーが空爆の数日前にビルから退避していたと知らされた。
ストヤノビッチら遺族は2年前、「多くの非戦闘員がいるのが明らかな放送局への空爆は、国際法違反だ」と、NATO加盟国を欧州人権裁判所に訴えた。
空爆犠牲者の側が加害者を直接訴えた裁判として注目を集めた。しかし昨年末、裁判所は「欧州人権条約に署名していないユーゴで起きた事件は管轄下にない」と訴えを却下した。
遺族らの弁護士を務めたユーゴの国際法学者ボジン・ディミトリエビッチは言う。
「どんなに正確なピンポイント爆撃も、標的を広げていけば、じゅうたん爆撃と変わらなくなる。歯止めをかけるには、こうした訴えを積み重ねていくしかない」
◇ ◇ ◇
NATO軍のユーゴ空爆は、軍事力で欧州をしのぐアメリカが名実ともに中心となった。
ユーゴ・コソボ自治州で、アルバニア人医師ベスニク・バルディ(44)は目を細めた。当時の米国務長官マドレーン・オルブライトの肖像写真が飾られた居間で、長女のマドレーン(2)は積み木遊びに余念がない。
「男の子だったら、もちろんクリントンと名付けましたよ」
99年3月、NATO軍の空爆が始まると、セルビア人勢力によるアルバニア人への迫害は一層し烈になった。家を焼かれ、南の国境へ逃げていく難民の長い列が、アパートの窓から見えた。
妻が妊娠していたバルディはコソボに残った。セルビア民兵が妊婦の腹を割いている、といううわさを耳にしたからだ。昼間も厚いカーテンを閉ざし、息を潜めた。
3カ月後、南の国境から黒い車列が来るのが見えた。NATO主軸の国際部隊だった。階段を駆け下り、泣きながら「NATO、NATO」と叫んだ。ほどなくして女の子が生まれた。「マドレーン」と名付けるのに迷うことはなかった。
◇ ◇ ◇
民族浄化という「人道上の惨劇」をくい止めるためだとして、NATOはユーゴを空爆した。国連決議はなかったが、米欧の政治家は「国家主権より人道が優先する」と胸を張った。
78日間の空爆でユーゴ軍はコソボから撤退した。クリントン米大統領は「心の傷をいやし、他民族が共生するコソボをつくろう」と宣言した。
それから2年半。
約100万のアルバニア人難民が戻ったコソボで、セルビア人に対する報復が後を絶たない。約10万人のセルビア人は国際部隊の庇護を受けてひっそりと暮らしている。
いたるところ赤他に黒いワシのアルバニア国旗は、セルビア語の部分だけが落書きで塗りつぶされている。
同時多発テロ後、ブッシュ政権は、コソボなどバルカン半島の平和維持活動からの米軍撤去を真剣に考え始めている。
昨年末、ピュリツァー賞コラムニストのチャールズ・クラウトハマーは、アフガニスタンの復興策について、こんな論評をワシントン・ポスト紙に書いた。
「アメリカの役割は戦争に勝利することだ。平和の維持は、ほかの国に任せればいい」
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以上、今朝の朝日新聞「アメリカアメリカ(シリーズ第11回)」より無断で転載。
「私は笑うことを忘れてしまった。ネボイシャはたった1人の身内だった」。そう言って、壁が崩れ落ち、鉄骨がむき出しになった4階建てのビルを仰ぎ見た。
99年4月23日午前2時6分。北大西洋条約機構(NATO)軍のレーザー誘導爆弾が、ユーゴスラビアの首都ベオグラードにある国営放送ビルに命中した。当直の技師16人が死んだ。
◇ ◇ ◇
「空襲警報が聞こえたら、すぐ逃げなさい」と、母は25歳の息子を送り出した。「大丈夫、アメリカ人もいるから」。欧米のテレビクルーが、送信設備を借りにビルに出入りしていると息子は言った。「爆弾を落とすはずがないさ」
3日後、母は息子に再会した。右半身が吹き飛ばされてなかった。
米国防総省の報道官は「放送局はミロシェビッチ(ユーゴ前大統領)の宣伝マシンだった」として、空爆は正当だと主張した。母親のストヤノビッチはその後、欧米のテレビクルーが空爆の数日前にビルから退避していたと知らされた。
ストヤノビッチら遺族は2年前、「多くの非戦闘員がいるのが明らかな放送局への空爆は、国際法違反だ」と、NATO加盟国を欧州人権裁判所に訴えた。
空爆犠牲者の側が加害者を直接訴えた裁判として注目を集めた。しかし昨年末、裁判所は「欧州人権条約に署名していないユーゴで起きた事件は管轄下にない」と訴えを却下した。
遺族らの弁護士を務めたユーゴの国際法学者ボジン・ディミトリエビッチは言う。
「どんなに正確なピンポイント爆撃も、標的を広げていけば、じゅうたん爆撃と変わらなくなる。歯止めをかけるには、こうした訴えを積み重ねていくしかない」
◇ ◇ ◇
NATO軍のユーゴ空爆は、軍事力で欧州をしのぐアメリカが名実ともに中心となった。
ユーゴ・コソボ自治州で、アルバニア人医師ベスニク・バルディ(44)は目を細めた。当時の米国務長官マドレーン・オルブライトの肖像写真が飾られた居間で、長女のマドレーン(2)は積み木遊びに余念がない。
「男の子だったら、もちろんクリントンと名付けましたよ」
99年3月、NATO軍の空爆が始まると、セルビア人勢力によるアルバニア人への迫害は一層し烈になった。家を焼かれ、南の国境へ逃げていく難民の長い列が、アパートの窓から見えた。
妻が妊娠していたバルディはコソボに残った。セルビア民兵が妊婦の腹を割いている、といううわさを耳にしたからだ。昼間も厚いカーテンを閉ざし、息を潜めた。
3カ月後、南の国境から黒い車列が来るのが見えた。NATO主軸の国際部隊だった。階段を駆け下り、泣きながら「NATO、NATO」と叫んだ。ほどなくして女の子が生まれた。「マドレーン」と名付けるのに迷うことはなかった。
◇ ◇ ◇
民族浄化という「人道上の惨劇」をくい止めるためだとして、NATOはユーゴを空爆した。国連決議はなかったが、米欧の政治家は「国家主権より人道が優先する」と胸を張った。
78日間の空爆でユーゴ軍はコソボから撤退した。クリントン米大統領は「心の傷をいやし、他民族が共生するコソボをつくろう」と宣言した。
それから2年半。
約100万のアルバニア人難民が戻ったコソボで、セルビア人に対する報復が後を絶たない。約10万人のセルビア人は国際部隊の庇護を受けてひっそりと暮らしている。
いたるところ赤他に黒いワシのアルバニア国旗は、セルビア語の部分だけが落書きで塗りつぶされている。
同時多発テロ後、ブッシュ政権は、コソボなどバルカン半島の平和維持活動からの米軍撤去を真剣に考え始めている。
昨年末、ピュリツァー賞コラムニストのチャールズ・クラウトハマーは、アフガニスタンの復興策について、こんな論評をワシントン・ポスト紙に書いた。
「アメリカの役割は戦争に勝利することだ。平和の維持は、ほかの国に任せればいい」
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以上、今朝の朝日新聞「アメリカアメリカ(シリーズ第11回)」より無断で転載。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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