kuouasku_hihannさん
投稿者: txh13 投稿日時: 2002/01/11 18:53 投稿番号: [129934 / 177456]
お返事ありがとうございました。しかし、kuouasku_hihannさんのおっしゃることは、ぶしつけながら私のポイントをぜんぜん捉えていないと思います。
>仏教以外の信者、無宗教者にたいしては、仏教だけでは無理。
第一に頭から仏教を宗教と規定してしまうのは大変問題があると思います。少なくとも私は「宗教」だとは思っていません。第二に、仏教がいわゆる宗教であろうとなかろうと数あるイデオロギー(広義の思想、世界観、価値観という意味での)の中で(だれにも)説得力があり納得がいくものが(たまたま)仏教であればそれをとるべきでしょう。
まあ、名前なんかどうでもいいんですけどね。仏教がいやなら、玉ねぎでも犬の糞でもなんでもいいんです。名前・概念(たとえば、人権とか正義とか平和とか)に引きずられるなというのが仏教なんですから。
>人権思想は特定宗教だけにあてはまる原理ではないから、地球規模の問題を扱うための制度・法に具体化できるよ。
先に触れたように、私見では仏教(仏法)は特定宗教ではないのでそれこそ「地球規模の問題を扱うための制度・法に具体化」できます。まあ、仏教(仏法)は地球規模だけじゃなくて宇宙規模まで射程が届いていると思いますけど。
>いずれにせよ、国際秩序の建設のためには言論上・政治上の戦いが必要。<我>を問題にすることは必要かもしれないけど、他の必要なものを否定するのは、片手落ち。<我>の解決も必要だし、人権にもとずく制度の構築も必要なのだ。
失礼ながら要するに、仏法はこのような意見は本末転倒だと言っているわけです。「国際秩序の建設のため」の「言論上・政治上の戦い」や「人権にもとずく制度の構築」が一見具体的なようでこれほど抽象的で砂上の楼閣でないものはないと言っているのです。かえって、世界を一種の仮想現実とみる仏法のほうが(根本的に)現実的という意味でずっと具体的だと言うのです。(ちなみに、仏法でいう「仮想現実」は現代物理学の相対性理論や不確定性原理とも抵触しません。)
そのわけ如何とならば、国際秩序の建設のため」の「言論上・政治上の戦い」や「人権にもとずく制度の構築」と言う発想、言動そのものが、国際的無秩序や人権無視(つまり人類のあらゆる問題、苦悩)の原因だからです。本末転倒と言うのはそのことです。そこのところを押さえないでどんなにじたばたしても、もがけばもがくほどクモの巣に捕らえられたハエさながらに問題の深み(これを仏教では地獄という)にはまっていくだけでしょう。人権、正義、制度等はこのクモの巣だと仏教(仏法)では言っているのです。
>人権を否定して神秘主義におちこむと、容易にカルト化すると思うよ。
もう御分かりでしょう、仏教的には人権とか平和とか正義とか政治とか制度とかいうものこそ「神秘主義」であり「カルト」であるということが。それらがナチズムやオウムのような問題を産み出しているのです。
だから、岡野守也氏は、
そして、この[マナ識の我という]恐るべきこだわりを解きほぐさないかぎり、個人としても、清々しく生きることはできないし、人間全体としても、純粋な善、というより善悪を超えた善の世界を実現できないであろう。マナ識を超えないかぎり、いかなるユートピア運動も、改良運動も、革命運動も、みな挫折し続けるであろう。(96−99ページ)
と言うのです。
岡野氏の「唯識の心理学」からの引用はちょっと説教臭かったかもしれませんが、仏教即宗教という先入観、偏見を排して再読されんことをおすすめします。
以上の説明でもまだ納得がいかないかもしれません。いかないほうがあたりまえだと思います。簡単に納得いくようならとっくの昔に地上は極楽と化しているでしょう。
ところで、(大乗)仏教に言わせれば、この地獄のまっただなかに極楽がある、つまり「国際秩序の建設のため」の「言論上・政治上の戦い」のまっただなかに仏法があるというのですが、これも仏教的な具体性、現実性なんです。分かりづらいでしょう。本末転倒の見方をしているかぎり。
それから、なんかまた高みから説教をたれていると思われるでしょうが、私の我(マナ識)のみから出た説教じゃない、仏法がそう言っていると思ってください。
さらに反論等ありましたらどうぞご遠慮なく。私の根が続く限りご説明します。
>仏教以外の信者、無宗教者にたいしては、仏教だけでは無理。
第一に頭から仏教を宗教と規定してしまうのは大変問題があると思います。少なくとも私は「宗教」だとは思っていません。第二に、仏教がいわゆる宗教であろうとなかろうと数あるイデオロギー(広義の思想、世界観、価値観という意味での)の中で(だれにも)説得力があり納得がいくものが(たまたま)仏教であればそれをとるべきでしょう。
まあ、名前なんかどうでもいいんですけどね。仏教がいやなら、玉ねぎでも犬の糞でもなんでもいいんです。名前・概念(たとえば、人権とか正義とか平和とか)に引きずられるなというのが仏教なんですから。
>人権思想は特定宗教だけにあてはまる原理ではないから、地球規模の問題を扱うための制度・法に具体化できるよ。
先に触れたように、私見では仏教(仏法)は特定宗教ではないのでそれこそ「地球規模の問題を扱うための制度・法に具体化」できます。まあ、仏教(仏法)は地球規模だけじゃなくて宇宙規模まで射程が届いていると思いますけど。
>いずれにせよ、国際秩序の建設のためには言論上・政治上の戦いが必要。<我>を問題にすることは必要かもしれないけど、他の必要なものを否定するのは、片手落ち。<我>の解決も必要だし、人権にもとずく制度の構築も必要なのだ。
失礼ながら要するに、仏法はこのような意見は本末転倒だと言っているわけです。「国際秩序の建設のため」の「言論上・政治上の戦い」や「人権にもとずく制度の構築」が一見具体的なようでこれほど抽象的で砂上の楼閣でないものはないと言っているのです。かえって、世界を一種の仮想現実とみる仏法のほうが(根本的に)現実的という意味でずっと具体的だと言うのです。(ちなみに、仏法でいう「仮想現実」は現代物理学の相対性理論や不確定性原理とも抵触しません。)
そのわけ如何とならば、国際秩序の建設のため」の「言論上・政治上の戦い」や「人権にもとずく制度の構築」と言う発想、言動そのものが、国際的無秩序や人権無視(つまり人類のあらゆる問題、苦悩)の原因だからです。本末転倒と言うのはそのことです。そこのところを押さえないでどんなにじたばたしても、もがけばもがくほどクモの巣に捕らえられたハエさながらに問題の深み(これを仏教では地獄という)にはまっていくだけでしょう。人権、正義、制度等はこのクモの巣だと仏教(仏法)では言っているのです。
>人権を否定して神秘主義におちこむと、容易にカルト化すると思うよ。
もう御分かりでしょう、仏教的には人権とか平和とか正義とか政治とか制度とかいうものこそ「神秘主義」であり「カルト」であるということが。それらがナチズムやオウムのような問題を産み出しているのです。
だから、岡野守也氏は、
そして、この[マナ識の我という]恐るべきこだわりを解きほぐさないかぎり、個人としても、清々しく生きることはできないし、人間全体としても、純粋な善、というより善悪を超えた善の世界を実現できないであろう。マナ識を超えないかぎり、いかなるユートピア運動も、改良運動も、革命運動も、みな挫折し続けるであろう。(96−99ページ)
と言うのです。
岡野氏の「唯識の心理学」からの引用はちょっと説教臭かったかもしれませんが、仏教即宗教という先入観、偏見を排して再読されんことをおすすめします。
以上の説明でもまだ納得がいかないかもしれません。いかないほうがあたりまえだと思います。簡単に納得いくようならとっくの昔に地上は極楽と化しているでしょう。
ところで、(大乗)仏教に言わせれば、この地獄のまっただなかに極楽がある、つまり「国際秩序の建設のため」の「言論上・政治上の戦い」のまっただなかに仏法があるというのですが、これも仏教的な具体性、現実性なんです。分かりづらいでしょう。本末転倒の見方をしているかぎり。
それから、なんかまた高みから説教をたれていると思われるでしょうが、私の我(マナ識)のみから出た説教じゃない、仏法がそう言っていると思ってください。
さらに反論等ありましたらどうぞご遠慮なく。私の根が続く限りご説明します。
これは メッセージ 129894 (kuouasku_hihann さん)への返信です.
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