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あわてるな 昔はみんな 歩いてた

投稿者: chottomato2 投稿日時: 2002/01/05 18:22 投稿番号: [129149 / 177456]
四国をドライブ中に目にした交通標語に、にやりとしたことがある。
「あわてるな   昔はみんな   歩いてた」。
そりゃ、そうだ。さすが、お遍路さんの地だと感じ入った。

現代人には想像も及ばないようなスーパー健脚家が昔はこの国にもぞろぞろいた。
鎌倉時代に時宗を開いた「遊行の僧」一遍もその一人だったろう。
現在の愛媛県松山市に生まれ、36歳のときに旅に出て51歳で亡くなるまでひたすら歩き続けた。
その足跡は北は岩手から南は鹿児島まで及んでいる。

『一遍聖絵(ひじりえ)』は、早春、3人の従者を連れての出立の風景を描く。
荒涼とした刈田の上をシラサギの群れが飛ぶ。
何が一遍を厳しい旅に駆り立てたのか。
歩く行為そのものが自己の信仰を研ぎ澄ます行であったか。

歩くとは、すなわち見ることでもある。
平安時代の僧円仁が約9年半にわたって唐代中国を旅した記録『入唐求法巡礼行記』は、土地の慣習や風物をつぶさに描写している。
朝粥をかき込んでは何十キロと歩き、足で稼いだ第一級の紀行文だ。

究極の巡礼は、チベット仏教に伝わる「五体投地」だろう。
合掌した両手を高く掲げ、大地に身を投げ出し、ひたいを土につけて拝礼。
まるで尺取り虫のように歩む。
その一歩一歩に、この世と来世の平安を祈る。

人間に限らずとぼとぼ歩く老犬にも、生きとし生けるものの哀感がある。
「世の創生とともに/駱駝(らくだ)は瘤(こぶ)を負って歩いてきたのではあるまいか」(村上昭夫『動物哀歌』から)。
ゆっくりと歩きながら、生きている尊さをかみしめる。
そんな年でありたい。

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以上、今朝の朝日新聞「天声人語」より無断転載。
(↑ひょっとして、『朝日』のまわしものかも知れない。)



yoursong319さんへ。

多くの人(もちろん私も)が、自分の「いる場所」さえ
わからなくなっている気がします。
何かにとりつかれたように、ただ「急かされて」て。
しかも、大切なもの(たとえば自然、たとえば心)をどんどん壊していって
自らを追いつめていってることにも気づいていない。

このままでは「破滅」へ向かって、まっしぐら・・・では?


  もともと世界に類を見ない自然に恵まれてきた日本。
  周りには美しい風景があり、きめ細かい知恵と習慣を持ち、
  何より自然の風物を愛してきた日本人。

これ(加藤登紀子さんの言う第一の価値)を取り戻すためには、
もう一度「自分の足でゆっくり歩く」ことが必要かも。
それができなくても、せめて
「歩いてた時」を思い出すことぐらいはした方がいい・・・と思います。
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