対米全面テロ

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

「尊い犠牲」という言い方(2)

投稿者: katakorichan 投稿日時: 2001/12/25 17:45 投稿番号: [127688 / 177456]
「尊い犠牲」という言い回しについての続きです。

さて、一番多かったのは、やはり戦争で亡くなった方々に対して向けられる
言い方です。大戦で亡くなった方々の追悼式典などでは、必ずこの言い方が
出てきます。慰霊碑などに刻まれるケースも多々あるようです。
ですから、pinkfalkonさんの言い方も「よくある言い方」で表現されたもの
なのでしょうか。
また、不慮の事故で亡くなった方を、辞書的な意味とは別に「犠牲になった
方々」という呼ぶ場合もよくあります。

さて、私がなぜ違和感を持ったかと言いますと、そもそも「生命」に何かの
目的を持たせること、そのことに違和感があるからです。存在は、生命は、
それ自体が目的であるはずなのです。自己の存在、他者の存在、それ自体が
目的であるべきです。存在というものは、生命というものは、何かの為に
あるのではなく、存在のため、生命のために「○○する」「○○がある」
と考えます。

犠牲というのは、手許の辞書(岩波)によりますと「一層重要な目的のために
自分の生命や大切なものを捧げること」だそうですが、「生命」それ自体が
目的であると考えるならば、「一層重要な目的」とは何なのか。
百歩譲って、仮に「誰かの命を奪うことで多数の命が助かる」、アメリカの
空爆がそういうものだったとする。しかしその犠牲は必須のものだったのか。
そして、当の本人が「捧げる」ということに同意もしていないのに、それを
赤の他人が「犠牲」と呼ぶことが許されるのか。・・・つまり、私の感じる
違和感というのは、自分の身におきかえたら「ふざけんな」という感覚がして、
そこからくるものです。

こういう点について、いろいろなことを考えました。まだ私の考えも流動的
なので、これについてはここで終わりにします。(レスも特にいりません)

ちなみに、第二次世界大戦の戦没者に対し、それを「尊い犠牲の上に現在の
平和がなりたっている」というような言い方については、ネット上で調べた
だけでも多数の反対意見・疑義がありました。詳細についてはここでは書き
ませんが、私が考えた限りでは「政治家にとって誠に都合のいい言葉だ」
ということです。とりあえず、ご参考まで。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)