Re:質問です
投稿者: heichan3000 投稿日時: 2001/12/20 00:12 投稿番号: [126602 / 177456]
>heichan3000さんは、どこがどう「どこまで行っても異常者」だとお考えなのですか?今回のテロに限った話で結構ですので、よろしかったらお聞かせくださいませ。
あまり言葉の定義にこだわるつもりはありません。「やってることが普通じゃない=異常」といった程度の意味と思ってください。
常識的な市民の行動に幾ら網をかけても、また普通の市民がみんな満足して暮らせる社会を建設しても、しょせんテロを起こすのは英雄であれ狂人であれ「それ以外」の特殊な部類の人間であり、行動パターンを読んで先手を打つのも、政策的に懐柔するのも限界があるだろうから100%安心はできないという意味で書いたわけです。
(もっとも私個人はアル・カイーダはオウム真理教と同じカルトではないかと思っていますが)。
ついでに少し捕捉すると私はテロリズムの本質は匿名性と、それに由来する責任の不在にあると思っています。
米軍の攻撃は政策として過激かもしれませんが、米国民の支持の下に行われたものです。米国の中東政策も含めてそれら全ては間違った政策なのかもしれませんが、その責任は究極的には米国民が負います(今すぐの”補償”といった意味ではありません、歴史によって評価されると言ったニュアンスです)。ブッシュ大統領は負わなくても、米国民はどこにも逃げられません。
インティファーダや中国の民主化運動のような市民の運動も、それが本当に広範な市民の支持を得ているなら成功するかもしれませんが、その結果がどう転んでも一番の受益者なり被害者なりになるのは彼ら自身です。
だから私はそれらの闘争を一概に否定しません。というか、「絶対の正義」や「完全な民主主義」が定義できない以上、そういう市民社会全体の流れによって歴史が作られていくのはやむをえないし、恐らく自然な事だと思うのです。もちろん流血の事態は望ましくないですが、それはまた別の話です。
しかし今回に限らずテロリズムはそういう流れを否定します。責任者の顔が見えませんし、本当に理解不能な「異常者」である可能性だって否定できません。
仮に犯人の主張が自体が100%正しくても、正体の分からないごく少数派の行動によって社会全体や歴史が動かされてしまうことは長い目で見れば誰にとっても不幸で危険なことだと思います。
民主主義うんぬんという以前の問題として容認できないと思う訳です。
例えばパレスチナの多数派住民が本当に自己の責任でアル・カイーダを直接支援したり、アフガンの一般市民が自ら反米のゲリラ戦に打って出れば、それは単なるテロリズムの範囲を超えた政治運動といえるかも知れませんが今回はそうではありません。
「違法行為だから」「一般市民を殺すから」という観点だけ考えるとテロの戦争の区別がつけにくいですが、具体的に「誰によって、誰のために、誰の責任で戦われているのか」という視点から考えれば、見極めは可能なように私には思えます。
「少数派であるからテロリスト」と言い切っても、民主主義の観点から言えばあながち暴論ではないと思っています。
(そしてもちろん言論でのみ争っている間は、その主張が何であれ民主社会の善良な多数派と言えると思います)
あまり言葉の定義にこだわるつもりはありません。「やってることが普通じゃない=異常」といった程度の意味と思ってください。
常識的な市民の行動に幾ら網をかけても、また普通の市民がみんな満足して暮らせる社会を建設しても、しょせんテロを起こすのは英雄であれ狂人であれ「それ以外」の特殊な部類の人間であり、行動パターンを読んで先手を打つのも、政策的に懐柔するのも限界があるだろうから100%安心はできないという意味で書いたわけです。
(もっとも私個人はアル・カイーダはオウム真理教と同じカルトではないかと思っていますが)。
ついでに少し捕捉すると私はテロリズムの本質は匿名性と、それに由来する責任の不在にあると思っています。
米軍の攻撃は政策として過激かもしれませんが、米国民の支持の下に行われたものです。米国の中東政策も含めてそれら全ては間違った政策なのかもしれませんが、その責任は究極的には米国民が負います(今すぐの”補償”といった意味ではありません、歴史によって評価されると言ったニュアンスです)。ブッシュ大統領は負わなくても、米国民はどこにも逃げられません。
インティファーダや中国の民主化運動のような市民の運動も、それが本当に広範な市民の支持を得ているなら成功するかもしれませんが、その結果がどう転んでも一番の受益者なり被害者なりになるのは彼ら自身です。
だから私はそれらの闘争を一概に否定しません。というか、「絶対の正義」や「完全な民主主義」が定義できない以上、そういう市民社会全体の流れによって歴史が作られていくのはやむをえないし、恐らく自然な事だと思うのです。もちろん流血の事態は望ましくないですが、それはまた別の話です。
しかし今回に限らずテロリズムはそういう流れを否定します。責任者の顔が見えませんし、本当に理解不能な「異常者」である可能性だって否定できません。
仮に犯人の主張が自体が100%正しくても、正体の分からないごく少数派の行動によって社会全体や歴史が動かされてしまうことは長い目で見れば誰にとっても不幸で危険なことだと思います。
民主主義うんぬんという以前の問題として容認できないと思う訳です。
例えばパレスチナの多数派住民が本当に自己の責任でアル・カイーダを直接支援したり、アフガンの一般市民が自ら反米のゲリラ戦に打って出れば、それは単なるテロリズムの範囲を超えた政治運動といえるかも知れませんが今回はそうではありません。
「違法行為だから」「一般市民を殺すから」という観点だけ考えるとテロの戦争の区別がつけにくいですが、具体的に「誰によって、誰のために、誰の責任で戦われているのか」という視点から考えれば、見極めは可能なように私には思えます。
「少数派であるからテロリスト」と言い切っても、民主主義の観点から言えばあながち暴論ではないと思っています。
(そしてもちろん言論でのみ争っている間は、その主張が何であれ民主社会の善良な多数派と言えると思います)
これは メッセージ 126500 (gegendenkrieg さん)への返信です.
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