有限要素法的アプローチ>kamemusi48さん
投稿者: qwery999 投稿日時: 2001/12/03 22:04 投稿番号: [121840 / 177456]
kamemusi48 さん
はじめまして(^^)。コメントありがとうございます。
>「強固な観念への執着」というか、「物語ふうの世界観への盲信」というか、あまり使いたくない言葉ですが、「イデオロギー」に縛られて客観的に世界を見られなくなるということも、挙げられると思います。
もちろん「理想」を持つこととは全然違うことです。
そうですね・・・この掲示板でもよく見られる現象ですし、誰もが陥りやすい性質を持っていると思います。やぱり、人間の脳は、常に複雑なことを考え続けるようには出来ていませんから、一度考えて結論が出たら、その途中のプロセスを忘れて、結果が先に思い出せるように、記憶を再構築すると思うのです。
複雑な状態から一つの観念が生まれるプロセスというのも、いかに物事を単純化(抽象・捨象)、共通化していくか、ということでしょうから、観念そのものは「扱いやすくなる」反面、どうしても「事実に合わない」部分が出てきます。これは物理学でも同じ事ですね。非線形を扱ったとたんに式では書き表せなくなり、コンピューターで数値解析しても、丸め誤差で、実際とは異なる結果が出てくることばかり(^^;)。
としたら、いろんな観念を持っている人が集まって、一つの課題に対して、「この観念ではこういう結論になる」ということを出し合い、どの観念が現実に即しているのか、あるいは観念の融合を図ったり、逆の観念を持ち出してみたりして、なるべく現実にあったモデルを新たに作る作業が必要になります。この場合、最初の段階では、個々の観念を論ずる人に妥協とか駆け引きがあってはいけません。しかし、状態が平行線になった場合(煮詰まった状態)、一旦休憩をとり、その後、観念の枠を取り払って、自由に議論するのです(ブレインストーミング)。
それが、問題解決のための、あるべき「会議」の姿なんだと思います(我田引水)。なぜ平行線になったのか、みなさん共通認識されているので、その後の解決法を模索するのも容易になるでしょう。今の国会審議は、平行線のまま、あるいは平行線にすらならずに終わってしまっています。自民党内でやっているよ、って声が聞こえそうですが、そのプロセスを国民に開示すべきでしょう。そうしたら、国民も知恵が出やすくなり、有用な意見メールがもっと増えてくると思います。
>昨日のテレビで中村医師が、「聖戦と言う言葉で人を殺す罪悪感がいやされるようだ」という趣旨の発言をされていて、なるほどと思いました。
やはり、人は精神的に弱いですから(単独で存在し得るのは非常に難しい)、何か理由がないと、心の中で「悪」とわかっている「おこない」を実行できないのでしょう(性善説?)。
>完全に中立で客観的で公正な立場など、現実にはあり得ないかもしれませんが、それを求めていこうとする志は貴重ですし、今まさに求められていると思います。
はい、単純化の行き着く先は「平均」とか「平等」とか「均一」ということになってしまうでしょう。そうではなくて、あくまで現象をありのままで捉えられるようなアプローチ、シミュレーションの世界なら、「有限要素法」といった観点で世の中が見られるといいな、なんて思っています。
で、
>付記 いつかのqweryさんの「セル社会構想」、おもしろかったですよ。
と繋がるわけですね(^^)。この概念も、もっと修正して膨らませてみたいですね。
はじめまして(^^)。コメントありがとうございます。
>「強固な観念への執着」というか、「物語ふうの世界観への盲信」というか、あまり使いたくない言葉ですが、「イデオロギー」に縛られて客観的に世界を見られなくなるということも、挙げられると思います。
もちろん「理想」を持つこととは全然違うことです。
そうですね・・・この掲示板でもよく見られる現象ですし、誰もが陥りやすい性質を持っていると思います。やぱり、人間の脳は、常に複雑なことを考え続けるようには出来ていませんから、一度考えて結論が出たら、その途中のプロセスを忘れて、結果が先に思い出せるように、記憶を再構築すると思うのです。
複雑な状態から一つの観念が生まれるプロセスというのも、いかに物事を単純化(抽象・捨象)、共通化していくか、ということでしょうから、観念そのものは「扱いやすくなる」反面、どうしても「事実に合わない」部分が出てきます。これは物理学でも同じ事ですね。非線形を扱ったとたんに式では書き表せなくなり、コンピューターで数値解析しても、丸め誤差で、実際とは異なる結果が出てくることばかり(^^;)。
としたら、いろんな観念を持っている人が集まって、一つの課題に対して、「この観念ではこういう結論になる」ということを出し合い、どの観念が現実に即しているのか、あるいは観念の融合を図ったり、逆の観念を持ち出してみたりして、なるべく現実にあったモデルを新たに作る作業が必要になります。この場合、最初の段階では、個々の観念を論ずる人に妥協とか駆け引きがあってはいけません。しかし、状態が平行線になった場合(煮詰まった状態)、一旦休憩をとり、その後、観念の枠を取り払って、自由に議論するのです(ブレインストーミング)。
それが、問題解決のための、あるべき「会議」の姿なんだと思います(我田引水)。なぜ平行線になったのか、みなさん共通認識されているので、その後の解決法を模索するのも容易になるでしょう。今の国会審議は、平行線のまま、あるいは平行線にすらならずに終わってしまっています。自民党内でやっているよ、って声が聞こえそうですが、そのプロセスを国民に開示すべきでしょう。そうしたら、国民も知恵が出やすくなり、有用な意見メールがもっと増えてくると思います。
>昨日のテレビで中村医師が、「聖戦と言う言葉で人を殺す罪悪感がいやされるようだ」という趣旨の発言をされていて、なるほどと思いました。
やはり、人は精神的に弱いですから(単独で存在し得るのは非常に難しい)、何か理由がないと、心の中で「悪」とわかっている「おこない」を実行できないのでしょう(性善説?)。
>完全に中立で客観的で公正な立場など、現実にはあり得ないかもしれませんが、それを求めていこうとする志は貴重ですし、今まさに求められていると思います。
はい、単純化の行き着く先は「平均」とか「平等」とか「均一」ということになってしまうでしょう。そうではなくて、あくまで現象をありのままで捉えられるようなアプローチ、シミュレーションの世界なら、「有限要素法」といった観点で世の中が見られるといいな、なんて思っています。
で、
>付記 いつかのqweryさんの「セル社会構想」、おもしろかったですよ。
と繋がるわけですね(^^)。この概念も、もっと修正して膨らませてみたいですね。
これは メッセージ 121701 (kamemusi48 さん)への返信です.
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