渦巻く寝返りや陰謀・・・
投稿者: pitapita101 投稿日時: 2001/12/02 16:38 投稿番号: [121394 / 177456]
渦巻く寝返りや陰謀、混乱
陥落のクンドゥズ
アフガニスタン北部で、タリバンが米軍の支援を受けた「北部同盟」による攻勢に最後まで抵抗を続けたクンドゥズに入り、タリバン投降のもようを目撃した日本人フリージャーナリスト、Q・サカマキさん(本名・坂巻久次郎、ニューヨーク在住)がドゥシャンベから共同通信に報告を寄せた。
アフガニスタンでの対テロ戦争は終わりに近づいているが、平和が訪れるとは限らない。十一月二十六日のクンドゥズ陥落は、そのことを端的に示していた。
クンドゥズでは寝返り、抱き込み、陰謀、混乱が渦巻いていた。
陥落の最大要因は、千五百人以上のタリバン兵の寝返りだった。
武器を携えたまま、北部同盟の戦列に加わったのだ。
投降するタリバン兵を北部同盟の地元ダウード派とカダムシャ派が温かく歓迎していた。握手を交わし、抱き合う兵士もいた。
ダウード派のナディール司令官(30)は「タリバンも同じアフガン。しかも彼らは同じ街の出身だ。和平を望むなら仲間だ」と述べた。
前日まで殺し合いをしていた北部同盟がタリバンを受け入れた理由は、これだけでは説明し切れない。
一つ、はっきりしていることがある。北部同盟各派はタリバン後をにらんで権力争いを始めている。そのための兵力増強なのだ。
ダウード派とカダムシャ派は、どちらがどれだけタリバン兵士を迎え入れるかで銃口を向け合い、まさに一触即発だった。
ドスタム派はクンドゥズには関知しないと言いながら、副司令官を送り込んでタリバンを自派に引き入れていた。
クンドゥズの制圧自体、どうとらえたらいいのか。
これは本当の「解放」だったのだろうか。
タリバン外国人部隊の待ち伏せによる交戦を除けば、最前線のハナバードもクンドゥズも、比較的たやすく陥落した。中心部に掲げられていたタリバンの白旗に代わり、北部同盟の緑、白、黒の旗が翻った。
「街は解放された。北部同盟を恐れる必要はない。警察が治安維持に当たるようになる」という声明がスピーカーから流れた。
だが、パシュトゥン系が六割を占める住民は、希望より不安に満ちていた。果物店経営のハズラトさん(28)=パシュトゥン人=は「これで戦争が終わるならうれしいよ。でもタリバンのときは商売もうまくいっていた」と語った。
この一言は、タリバン出現後の内戦が民族の衝突だったことを示唆している。
タリバンはパシュトゥン人の武装集団だ。
今後も民族間の対立は続く可能性がある。
事実、クンドゥズ郊外のジンザイ村では、北部同盟の進攻を前に多くのパシュトゥン人が逃げ出していた。
制圧後のクンドゥズでは、捕まったタリバン外国人部隊が暴行を受けていた。
あるパキスタン人兵士は銃で何度も殴られ、地面に倒れ込んだ後は顔をけられて引きずり回されていた。
だれも止める者はいなかった。彼らはその後、虐殺された可能性もある。
戦いも完全に終わったわけではない。
山間部では敗走したタリバン兵の抵抗が続いている。
タリバンが散り散りになったため、治安も一層悪くなっている。
タリバンがいなくなり、武装強盗集団が復活したのだ。
十一月二十七日夜、筆者のいたタロカンで、四人組の強盗がスウェーデン人の記者団を襲い、一人を射殺、数千ドルの現金を奪った。
今のところ、こうした犯罪を防ぐ手だてはない。
タロカンの当局者は、今後記者の安全は保証できないとの声明を出さざるを得なかった。
そのため、翌日ほぼ全員の記者がタロカンを引き揚げ、アフガニスタンを出た。
(了) 12/01
(共同通信より)
アフガニスタン北部で、タリバンが米軍の支援を受けた「北部同盟」による攻勢に最後まで抵抗を続けたクンドゥズに入り、タリバン投降のもようを目撃した日本人フリージャーナリスト、Q・サカマキさん(本名・坂巻久次郎、ニューヨーク在住)がドゥシャンベから共同通信に報告を寄せた。
アフガニスタンでの対テロ戦争は終わりに近づいているが、平和が訪れるとは限らない。十一月二十六日のクンドゥズ陥落は、そのことを端的に示していた。
クンドゥズでは寝返り、抱き込み、陰謀、混乱が渦巻いていた。
陥落の最大要因は、千五百人以上のタリバン兵の寝返りだった。
武器を携えたまま、北部同盟の戦列に加わったのだ。
投降するタリバン兵を北部同盟の地元ダウード派とカダムシャ派が温かく歓迎していた。握手を交わし、抱き合う兵士もいた。
ダウード派のナディール司令官(30)は「タリバンも同じアフガン。しかも彼らは同じ街の出身だ。和平を望むなら仲間だ」と述べた。
前日まで殺し合いをしていた北部同盟がタリバンを受け入れた理由は、これだけでは説明し切れない。
一つ、はっきりしていることがある。北部同盟各派はタリバン後をにらんで権力争いを始めている。そのための兵力増強なのだ。
ダウード派とカダムシャ派は、どちらがどれだけタリバン兵士を迎え入れるかで銃口を向け合い、まさに一触即発だった。
ドスタム派はクンドゥズには関知しないと言いながら、副司令官を送り込んでタリバンを自派に引き入れていた。
クンドゥズの制圧自体、どうとらえたらいいのか。
これは本当の「解放」だったのだろうか。
タリバン外国人部隊の待ち伏せによる交戦を除けば、最前線のハナバードもクンドゥズも、比較的たやすく陥落した。中心部に掲げられていたタリバンの白旗に代わり、北部同盟の緑、白、黒の旗が翻った。
「街は解放された。北部同盟を恐れる必要はない。警察が治安維持に当たるようになる」という声明がスピーカーから流れた。
だが、パシュトゥン系が六割を占める住民は、希望より不安に満ちていた。果物店経営のハズラトさん(28)=パシュトゥン人=は「これで戦争が終わるならうれしいよ。でもタリバンのときは商売もうまくいっていた」と語った。
この一言は、タリバン出現後の内戦が民族の衝突だったことを示唆している。
タリバンはパシュトゥン人の武装集団だ。
今後も民族間の対立は続く可能性がある。
事実、クンドゥズ郊外のジンザイ村では、北部同盟の進攻を前に多くのパシュトゥン人が逃げ出していた。
制圧後のクンドゥズでは、捕まったタリバン外国人部隊が暴行を受けていた。
あるパキスタン人兵士は銃で何度も殴られ、地面に倒れ込んだ後は顔をけられて引きずり回されていた。
だれも止める者はいなかった。彼らはその後、虐殺された可能性もある。
戦いも完全に終わったわけではない。
山間部では敗走したタリバン兵の抵抗が続いている。
タリバンが散り散りになったため、治安も一層悪くなっている。
タリバンがいなくなり、武装強盗集団が復活したのだ。
十一月二十七日夜、筆者のいたタロカンで、四人組の強盗がスウェーデン人の記者団を襲い、一人を射殺、数千ドルの現金を奪った。
今のところ、こうした犯罪を防ぐ手だてはない。
タロカンの当局者は、今後記者の安全は保証できないとの声明を出さざるを得なかった。
そのため、翌日ほぼ全員の記者がタロカンを引き揚げ、アフガニスタンを出た。
(了) 12/01
(共同通信より)
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/bpjfa4lla5fa5m_1/121394.html