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ビンラーディン感化でタリバン変容の結果

投稿者: yagyuukenn 投稿日時: 2001/11/14 02:09 投稿番号: [116216 / 177456]
  結局、タリバンは、ラディン一味に庇を貸して、母屋を取られたのだろう....

  「ビンラーディン感化でタリバン変容、孤立化浮き彫りに」

http://www.yomiuri.co.jp/05/20011113idz9.htm

  【イスラマバード13日=佐藤浅伸】アフガニスタンをその特異なイスラム原理主義解釈で支配してきたタリバン政権が13日、事実上、崩壊した。宿敵インドとの対抗上から後背地を必要としていたパキスタンに育てられたタリバンは、冷戦期に米国に作り上げられたウサマ・ビンラーディンという“怪物”を内包したことにより、思想的変容を余儀なくされ、今また米パ両国の手によって存在を否定されてしまった。

  「神学生」を意味するタリバンは1994年、パキスタンのアフガン難民キャンプのマドラサ(イスラム神学校)で学んだ学生を中心に、アフガン南部で誕生した。当初は旧ソ連軍撤退後に、現在の北部同盟を構成するゲリラ各派が引き起こした内乱を、収拾しようとする「世直し運動」だった。

  当時のアフガン社会は悲惨だった。パキスタン北西辺境州ペシャワルの難民キャンプに住むタジク人女性が、ゲリラに銃身で殴られ、娘が目の前でレイプされたことを、恐怖にひきつった表情で話していたのを忘れることができない。

  タリバンにとっての大きな転機は、96年9月のカブール制圧だった。首都を押さえたことで全土掌握への野心が生まれたタリバンは、パキスタンの軍事支援を受け、北部同盟との殺りくを繰り返し全土の約9割を押さえるなかで、国際政治の渦にも身を投げ出し、「世直し運動」としての姿を変えていった。

  過激な反米思想を持ったサウジアラビア人のイスラム原理主義指導者ウサマ・ビンラーディンに感化され、客人として身柄を預かったことも、アフガン国内だけの閉じたイスラム復興運動だったタリバンの思想を変質させ、国際社会からの孤立を浮き彫りにしていった。

  ビンラーディンは対ソ連アフガン戦争で、米国の支援を受けて戦い、存在感を増したムジャヒディンの1人。米国の対ソ政策の落とし子と言える。「客人は追い出さない」というパシュトゥン人の伝統から米国の引き渡し要求を拒否し続けるうち、やがて財政的にも軍事的にもビンラーディンとその一派に負うところが大きくなり、結局は、「ひさしを貸して母屋を取られる」結果となった。

  国連での政権承認を求めるなど、欧米と対決していたわけではなかった外交姿勢も、ビンラーディンの影響力拡大の証左であるかのように、昨年ごろからパレスチナ問題解決を訴え始め、対米姿勢を強めていった。

  この結果、預言者ムハンマドの生きた中世7世紀の社会を理想とし、さらに女性の就業などを禁止した統治も、国際批判を招いただけでなく、イスラムの教義上からも疑問の目を向けられることになった。

  今年3月、カブールで会ったタリバン幹部は、みな一様にもの静かで、世事に疎いという印象だった。一方で、街は宗教警察がばっこし、市民の自由を抑え込んでいた。カブール市民は、「治安の回復が唯一の成果だ。しかし、それはタリバンに逆らわないという前提だがね」と自重気味に話していた。タリバンとは、素朴で粗野で、現代社会の常識とはかけ離れた世界に生きている人々だった。

  それが旧ソ連軍撤退後の混乱の中で、こつ然と歴史の1ページに現れ、米国や、パキスタンなどの周辺国の思惑にほんろうされた。タリバン政権の誕生から崩壊までを思う時、破滅という運命をも内包していたという気がしてならない。

(11月14日01:06)
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