shinobuさんへ
投稿者: hal1004 投稿日時: 2001/11/02 13:06 投稿番号: [110531 / 177456]
まず最初に、「自由主義国だけが自由というトリック」は読んでいます。「クラス」と「メンバー」を混同した論議が下敷きになっていると思われます。「反自由主義」というものがあったとして、それは、「自由主義」とは別の「クラス」というレベルであって、自由主義の「メンバー」として扱うべきではない、というふうに解決するのがベターかと思います。
本題に入るにあたって前提としておきたいのは、西欧的原理=自由主義というのは、あくまで西欧「的」であって、それはもはや日本の原理でもあり、ロシアの原理でもあり、最近は中国の原理でもあるということです。ですから、今回のテロの件で、西欧対イスラムという図式を持ち出すのは、「十字軍ふたたび」と言いかねない人達と同じ認識に立つことになります。アメリカの軍事力が圧倒的な状況下では、そういうタカ派的な言説と同じ認識で議論・行動してしまうのは、極めて危険であると私は考えます。
日本のように西欧的原理をもちながら、キリスト教の影響の少ない立場にいるのならばなおさら、西欧対イスラムの図式に持っていこうとする勢力(イスラム原理主義者、西欧の右派)の立場を疑わなければなりません。
宗教論ですが、キリスト教を例にとっても、それを原理的に解釈すれば、近代的な社会にそぐわない「生活に密着した行動原理」は出てくるのではないでしょうか?
インドの階級社会を是認する宗教は、生活に密着していないでしょうか?アフリカの対立する部族は悪魔といった類の土着的な宗教は?日本の陰陽に影響を受けた宗教的考え方は、寝る方向、出かける方向、家を建てる方向、等々生活に密着していなかったでしょうか?
これらを、具体的な豊かさによって「換骨奪胎」し、近代化に適応させることが出来たのなら、なぜイスラム教だけが出来ないといえるのでしょう?
出来にくいとは言えるかもしれませんが。
さらに言えば、イスラム社会の国々で、共産主義のような極めて西欧的な原理を受け入れていた国々だってあるのです。
>しかし、国家が変わるには、そう簡単にはいきません。
もちろんです。そこで、F・フクヤマは「変えていくべき」と言っているわけではありません。「変わるだろう」と言っているのです。
今後、むしろアメリカの方から中東地域にたいして不干渉、放置主義的な考え方が台頭してくる可能性があります。
それで良いのでしょうか?
ただ「理解」していれば良いのであれば、これほど楽なことは、ないでしょう。
しかし、不干渉は、かの地域の、むしろ下層の人々を窮乏化させ、窮乏化は当然中央政府への不満がまし、中央政府は対外的なアクションでそのガス抜きをする、こういう方向だってありえるわけです。
そして、経済的援助は、近代化をもとにしなければ実効性はありません。
アメリカでイスラム教徒が近代化を受け入れているのなら、グローバルな世界の中で、イスラム教国が近代化を受け入れるのは、けっして不可能ではないと私は信じます。
もちろん、相互の対話や謝罪や理解をもとに長い時間をかければ、ですが。
当然、先進国側の方法論的な反省もあるでしょう。
しかし、私は火に油をそそぐような議論はすべきでないと思います。
本題に入るにあたって前提としておきたいのは、西欧的原理=自由主義というのは、あくまで西欧「的」であって、それはもはや日本の原理でもあり、ロシアの原理でもあり、最近は中国の原理でもあるということです。ですから、今回のテロの件で、西欧対イスラムという図式を持ち出すのは、「十字軍ふたたび」と言いかねない人達と同じ認識に立つことになります。アメリカの軍事力が圧倒的な状況下では、そういうタカ派的な言説と同じ認識で議論・行動してしまうのは、極めて危険であると私は考えます。
日本のように西欧的原理をもちながら、キリスト教の影響の少ない立場にいるのならばなおさら、西欧対イスラムの図式に持っていこうとする勢力(イスラム原理主義者、西欧の右派)の立場を疑わなければなりません。
宗教論ですが、キリスト教を例にとっても、それを原理的に解釈すれば、近代的な社会にそぐわない「生活に密着した行動原理」は出てくるのではないでしょうか?
インドの階級社会を是認する宗教は、生活に密着していないでしょうか?アフリカの対立する部族は悪魔といった類の土着的な宗教は?日本の陰陽に影響を受けた宗教的考え方は、寝る方向、出かける方向、家を建てる方向、等々生活に密着していなかったでしょうか?
これらを、具体的な豊かさによって「換骨奪胎」し、近代化に適応させることが出来たのなら、なぜイスラム教だけが出来ないといえるのでしょう?
出来にくいとは言えるかもしれませんが。
さらに言えば、イスラム社会の国々で、共産主義のような極めて西欧的な原理を受け入れていた国々だってあるのです。
>しかし、国家が変わるには、そう簡単にはいきません。
もちろんです。そこで、F・フクヤマは「変えていくべき」と言っているわけではありません。「変わるだろう」と言っているのです。
今後、むしろアメリカの方から中東地域にたいして不干渉、放置主義的な考え方が台頭してくる可能性があります。
それで良いのでしょうか?
ただ「理解」していれば良いのであれば、これほど楽なことは、ないでしょう。
しかし、不干渉は、かの地域の、むしろ下層の人々を窮乏化させ、窮乏化は当然中央政府への不満がまし、中央政府は対外的なアクションでそのガス抜きをする、こういう方向だってありえるわけです。
そして、経済的援助は、近代化をもとにしなければ実効性はありません。
アメリカでイスラム教徒が近代化を受け入れているのなら、グローバルな世界の中で、イスラム教国が近代化を受け入れるのは、けっして不可能ではないと私は信じます。
もちろん、相互の対話や謝罪や理解をもとに長い時間をかければ、ですが。
当然、先進国側の方法論的な反省もあるでしょう。
しかし、私は火に油をそそぐような議論はすべきでないと思います。
これは メッセージ 110135 (shinobu さん)への返信です.
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